読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』Ⅷ

「自ら進んで」することは、本当にいいことなのだろうか

今日も警察に行く用事があったので、早めに職場を離れた。書類を揃えて受付に行くと、印鑑はいらないと言われた。記入例には印鑑の指定が書かれていたが、もう要らなくなったのだとか。職場の様々な書類も印鑑が必要だけど、見直してくれないかな。

~大嶋さんの過労と自殺を大嶋さんの自己責任の問題として処理しようとしている。大嶋さんは膨大な業務を処理するためやむを得ず長時間に及ぶ残業を行っていた。それは本人が自分の責任感から行っていたものであって、「業務上の強制によるもの」ではなかったからである。~

過労自殺の一例である。責任感が強すぎて病気になり、そして死を選んだということだ。何であろうと、仕事のせいで病気になったり、命を落としたりということが決してあってはならない。

~大嶋さんはその責任感から、「自ら進んで」残業を行い、しかも「自ら進んで」その残業時間を過少に申告していた。すべて仕事のため、会社のためである。その挙句、過労に陥り、うつ病を発症し、自ら死を選んだのである。~

何のために仕事をしていたのだろう。仕事をするために生きているのか。生きるために仕事をするのか。絶対に後者のはずである。まず自分の命があってこそ、仕事や会社のためにできるのだ。病気になってしまうような仕事なら、止めるべきだ。「責任感」がそれを見えなくさせてしまったのか。

~「業務上の強制によるもの」ではないのに「自ら進んで」残業したことが過労自殺につながったのである。「自発的・自主的」に仕事に打ち込んでいたと言える。そうであったこともまた長時間に及ぶ残業、あるいは過労につながっていったのである。~

教育現場でも「自ら進んで」「主体的に」という言葉は持てはやされる。大きな誉め言葉の一つである。この美しい言葉を使って、相手を利用しようとしていないだろうか。本当は「自ら進んで」取り組む前に、立ち止まって考えたり問い直したりする態度が必要なのかもしれない。(R6.2/13記)