映画『おじドル,ヤクザ』(2021)

おじドル,ヤクザ(2021) 監督 大川裕明

隣市のミニシアターで鑑賞。自転車で向かう途中、昼食としてドラッグストアでパンを2つ購入。シアターに上がり、ロビーではいつになくにぎやか。客席もほぼ満員といっていいだろう。団体客のようで、賑わいはさながらクラス会と化していた。

高評価だったので鑑賞を決めたのだが、画面の粗さや、映像の不自然なつなぎなど、クオリティーはそれほど高くはない。が、ストーリーとしては、意外性のある設定なのだが、あり得ないわけでもなく、等身大のおもしろさである。ちなみに『ヤクザと家族』のスパイスがちょっと入っていたと思う。

本シアターでは2回目の体験だが、上映終了後に出演者3人の挨拶が行われた。そのうちの一人が地元出身だったのだ。団体客は彼の同級生というわけだ。低予算のインディーズ映画だということもわかった。役者のトークが聞けて得した気分だった。(R4.6/25記)

読書6-14『折れそうな心の鍛え方 』Ⅱ

折れそう、といえば最近の猛暑。老いた体にはまったくもってキツイ。

~苦しみは確実にあるけれど、べつにそう珍しいものではない。この事実を受け入れれば、ガス抜きするアクションに移ることができます。~

~「よく考えてみたら、自分のキャパを超えない範囲の不幸しか、自分には訪れない」こう思えたら、もうあなたの勝ち。~

~絶対に底はある。しかしそれは自分の耐えうる底なのだ、と思っていれば、潔く沈んでいくことができます。夜明け前が一番暗い、明けない夜はない。~

自分が適応障害になったときは全然思わなかった、今思うことがある。それは、仕事の成功や失敗は、人生の幸不幸とは関係がないということ。仕事=人生ではないということ。出口治明氏がいうように、仕事は人生の中の2割強でしかない。だから成功しようと力まなくなったし、失敗しても引きずらなくなった。いや、成功や失敗を意識しなくなった。成功や失敗は、行為の結果である。自分は行為しか気にしなくなった。

そしてやはり「禍福は糾える縄の如し」である。幸不幸はかならず訪れるし逃れようもない。今が幸福かは分からないが、不幸はいつかやってくるのだと覚悟はしている。(R4.6/24記)

読書6-14『折れそうな心の鍛え方 』(日垣 隆)

折れそうな心の鍛え方 (幻冬舎新書)  – 2009/9/28 日垣 隆  (著)

私も3年前、心が折れた。メンタルクリニック適応障害と診断された。

~何かのきっかけがあってウツに陥る場合、たいてい、その原因は自分でもどうにもならないことです。自力でどうにかなる問題でしたら落ち込みません。~

仕事のことなど、努力すれば何とでもなると思っていた。どうにもならないのは自分の力不足、自分のせいだと思った。自力でなんとかなると思っていた。

~「ウツは喪失の結果としてある」~

喪失か。何を喪失したのだろう。おそらく自信だろうな。そして仕事に対するこだわりや情熱も失ってしまった。今や仕事は自分にとって優先順位の高くないものとなった。

~喪失を埋め合わせる第一の方法は時間の経過です。第二は自分が陥った状況を客観的に見る努力をすること。第三は周囲の力を借りること。第四はできるだけたくさん泣くこと。また笑うことに罪悪感を抱かないこと。第五は多少でも代償を求めること。第六は解決すること。実は第一から第六のすべては「ガス抜き」です。~

あれから3年以上たった。だが私は、喪失したものを埋め合わせているのだろうか。自分の仕事への思いは180度転換してしまっている。自信は取り戻していないし、こだわりや情熱も失ったままだ。

~ガス抜きの中で最も大切だと思うのは「周囲の力を借りること」です。身近な人、話を聞いてくれる人の力を借りてとにかく毒やつらさを吐き出してみましょう。~

中年男性の休職者、自殺者も多いと聞く。最も大切な「周囲の力を借りること」ができないのだ。弱音なんかカッコ悪くて吐けない。頼った時点で自分の地位を下げるような感覚になる。プライドが高いの困ったものだ。(R4.6/23記)

 

読書6ー13『「おもてなし」という残酷社会』Ⅶ

感情労働の困難さに立ち向かう方策をもう一つ。

~わかったことは、客観的にみれば相当に困難な目にあっていたにもかかわらず前向きに生きている人たちに共通してみられるのは、否定的な出来事も肯定的な意味を読み取ろうとする思考の習慣だった。それによって前向きの自己物語が形成されていく。~

最近の否定的な出来事ってそう思いつかないのだが、昨年度の業務内容を請け負った時、「貧乏くじ引いたな」と思わないでもなかった。職場にはいたくなかったので、割り振りを使って、できるだけ早く帰るようにした。そして、落ち込みそうになったとき、よく自分に言い聞かせた言葉は、「私がいるだけで、役に立っている」ということだ。私がいなければ、誰かが私の業務をしなくてはならない。私がいるからその人を助けられる。私が職場に所属すること自体を肯定したわけだ。

感情労働バーンアウトをもたらす可能性が高いのだが、バーンアウトと自律性の間には関連が認められるため、バーンアウトを防ぐには本人の裁量に任せる部分を増やすなど、仕事にある程度の自律性を持たせることが大切だ。~

馴れない業務であったが、自分なりに試行錯誤や工夫をして、ある程度は軌道に乗せることができ、1年を終えた。道は果てしないかもしれない。だが、やれることをやるしかないのだ。他人の目など気にするな。そこにいるだけで感謝されている。何をしてもしなくても許されている。そう考えてできることだけやっていけばいいのだ。

~何よりも日ごろの生活を充実させることが、過剰、感情労働時代を無事に生き延びるコツといえる。~

感情労働をさせられて疲れ果て、自分を見失うことがあってはならない。リベンジみたいにむきになって感情労働に打ち勝とうと思うな。仕事に振り回されることなく、自分の生活を充実させるのだ。(R4.6/22記)

読書6ー13『「おもてなし」という残酷社会』Ⅵ

感情労働からは逃れることはできなさそうだ。とすると、どう乗り越えるか、という話題になる。

~有効なのは自己開示できる場を持つことだ。自己開示とは自分の思いを素直に語ることだ。自己開示にはカタルシス効果や自己明確化効果がある。自己開示ができる場があるだけでストレスを軽減することができる。~

カタルシス効果とは「不満や不安、悲しみやイライラなどネガティブな感情を口に出すことで苦痛が緩和され、安心感を得られる現象のこと」とあった。私は本ブログで紹介したこともあるが、毎日少量の日記を続けている。マンネリ化し、片付け仕事のようにしているが、もっと感情を開示してもいいのだな。

~日記のような個人的なものとして書くという方法がある。いわば筆記による自己開示である。筆記による自己開示にもストレス緩和効果、自己明確化効果があることが分かっている。~

このブログだって、半ば日記のようなものだ。ちなみに自己明確化とは「自分の気持ちや考えを話すうちに、曖昧だった気持ちや考えが整理され、自分の気持ちが明確になること」とある。どうせ誰も読まぬ日記。ここでも自己開示をしていこう。

早速だが、今日はイライラしてしまった。原因は分かっている。昨日夕方洗濯をしてベランダに干した洗濯物を、天気予報で雨が降るのを知っていたのに、そのままにして職場に来てしまったからだ。朝から気がかりな用事があって抜け落ちてしまっていた。帰宅してすぐに取り込んだが、後の祭り。次の洗濯物が待っているのに、干す場所がないから洗えない。そうなると、風呂の残り湯も再利用できない。水の無駄遣いをすることになる。ここまで書いて分かったが、自分のイライラのおおもとは「水の無駄遣いをさせられる」ということだ。少し自分の気持ちが明確化したな。(R4.6/21記)

読書6ー13『「おもてなし」という残酷社会』Ⅴ

ちゃんと教員の世界についても書かれていた。

~教育の世界までサービス産業のように扱い、予算削減、人件費削減に走るのであれば、教員という仕事も一つの職業として開き直って勤めることができないと身が持たない。~

どの仕事だって、それなりに立派だ。

著者もきっと「教員は特別な仕事だ」と思っているのだろうな。非正規教員が激増し、人件費削減はよくわかるのだが、予算削減はどうだろう。残業手当もつけずに自主的に長時間労働してくれるのだ。昔から低予算だったのではないか。

~かつては生徒や学生のためにといった教育的情熱によって行われていた教員の仕事が、サービス産業の一環として生徒、学生やその保護者をお客様として位置づけ、感情労働=「顧客満足のための演技」として行われるようになる。そこで感じる自己矛盾や虚しさによって教員はいよいよストレスを溜め込むことになるのだ。~

ずいぶん前からだが、通知表の所見欄に子どもの欠点や短所を書くなという指導が入るようになった。「お客様化」はその頃からだろうな。お客様に対して失礼、ということだろう。さらに10年ほど前から「学校評価」「保護者アンケート」なるものが導入された。こうして教師の権威は総崩れになり、子ども、保護者、地域のいいなりになり、教員の「奴隷化」が進んだのだ。

~子どものためなら時間や労力で犠牲を払っても心を尽くすべきだといった感覚が多くの人々の心の中にあるからなのであろう。子どもの楽しそうな笑顔を見ていられるのだから、多少の犠牲を払っても、それで十分報われているはず、だから労働者の権利の主張などせずに子どものために尽くすべきだ、といった感覚を職員が強いられる雰囲気もある。~

「子どものため」という言葉は恐ろしい。私は軽々しくこの言葉を使ってはならないと思う。そんなの共通理解、当たり前だし、当たり前のことをわざわざ声高にする人は逆に信用できない。我々は教員。教員という名の労働者。労働者は使用者に命じられた業務をするだけ。それでいいと思う。(R4.6/20記)

映画『ALIVEHOON アライブフーン(2022)』

ALIVEHOON アライブフーン(2022) 監督 下山天

昨日見た『夢見る~』と同値の高評価を叩き出している本作。毎週日曜の座禅をずらし、町内一斉清掃もキャンセルして臨んだ。この話題作が公開2週目で早くも一日2本、それも早朝と深夜だけなんておかしいよね。

期待通りの作品と言っていいでしょう。まず、臨場感が素晴らしい。タイヤを鳴らす音、飛び散る破片、接近する車体の映像。どれをとってもレースの迫力、ドリフトの魅力がふんだんにつまっている。

そして音楽がいい。レースの興奮がビートの鼓動と重なりさらなる高みへとつながる。一騎打ちのレースが重なっても飽きさせない。さらには、車も主役だ。シルビア、チェイサー、マークⅡ、やリス、そしてスープラ。旧車も現行車も入り乱れての戦いは、カーマニアには堪らない。

ドリフトという文化にも触れることができ、興奮しっぱなしの映画です。とりあえず、今の私はロングドライブに興味持っています。(R4.6/19記)