読書9‐13『現代語訳 学問のすすめ』Ⅳ

学がなければ、騙される、利用される、損をさせられる

一昨日、故障したマイカーは一夜明けて整備店に連絡し修理を依頼。整備店への輸送をまたJAFに依頼した。JAFが我が家に訪れ、マイカーをレッカーに取り付ける際、なんとバンパーに傷を付けられた。マイカーが故障し、しかも傷も付けられる。まさに泣き面に蜂である。

~人民が暴力的な政治を避けようとするならば、いますぐ学問を志して自分の才能や人間性を高め、政府と同等の地位にのぼるようにしなければならない。~

「こんな勉強、意味があるのだろうか」とつい思ってしまう。子どもに学習内容を理解させるのに、果てしない距離を感じる時にそれは顕著になる。だが、学習内容というレベルではなく、学習そのものに意味がないと思ってはいけない。やはり人間は賢くあるべきだ。人民が無学であれば、政府に舐められる。人民が舐められれば、政治は暴力化する。人民が賢ければ、政府に対し正しい選択ができる。学がなければ、人から騙されたり、いいように利用されたりするのだ。損をさせられるのだ。

~一国の文明を発展させるにはただ政府の力のみに頼ってはならない。~

学がないものは、政府の力に頼る。政府が暴力的になっても、それに抗えない。なすすべもなく受け入れるしかない。(R6.4/23記)

読書9‐13『現代語訳 学問のすすめ』Ⅲ

社会的役割にふさわしい知識や人間性を備えることが大事

貴重な経験なので記しておきたい。

グランパス観戦から雨が降り続く我が家への帰り道、あと5分ほどで到着というところで、急にマイカーに警告灯がつき、エンジンが止まった。私は直感的にまずいと思い、カレーチェーン店に緊急避難的に車を入れた。中途半端に止まってしまったので、従業員に助けを請い、奥まで車を押してもらった。店の人にも挨拶した後、我が家まで走って帰り、電話でJAFを呼び車を診てもらった。電話してJAFが来るまで1時間30分かかった。私は単にバッテリーが上がったのだろうと思ったのだが、もっと深刻な故障らしい。ディーラーや修理屋に頼める時間ではなかったので、家までレッカー移動ということになった。

こんなに大きな車のトラブルに巻き込まれるのはそうそう記憶にない。気持ちも落ち込んだが、それでも雨の中のJAFの職員の作業の手際の良さ、チェーン店への対応など、かえって清々しさを感じられた。

~大事なことは、人としての当然の感情に基づいて自分の行動を正しくし、熱心に勉強し、広く知識を得て、それぞれの社会的役割にふさわしい知識や人間性を備えることだ。~

正しい行いって大事だな。当然の感情というのはよく分からないけど、自分の気持ちだけでなく、それをしたら相手がどんな感情になるかを想像することが必要なんだと思う。本を読んで知識を得ていきたいけど、人間性を備えることも怠ってはならないな。(R6.4/22記)

グランパス『2-1 セ大阪戦』

数々の敗戦もこの日のための演出だったのだ

J1 第9節  4/21(日)15:00  豊田スタジアム

朝から座禅、カフェモーニング。家で少し昼寝をして起きた頃にはもう本降りの雨だった。マイカーでスタジアム近くの駐車場に向かい、そこからはカッパを着て現地に向かった。スタメン発表の5分前位に座席に着いた。なお、ゴール裏座席は雨が降り込むことは全くなかった。

相手は首位のセレッソ、引き分けで御の字である。前半から終始、主導権を握っていたのはセレッソだった。我が軍は前半、シュートを1本も打っていなかったと思う。それに対し相手コーナーキックは何本あったことか。前半を0-0で折り返せば、後半は選手間の距離が出てきて、こちらもチャンスがあるかもしれないとは思っていた。

先取点はコーナーキックから。三國があの位置にいるのは流石。それなりの意識を持っているのだろう。私が得点シーンを観たのは今季初である。だが、すぐに失点。これにも三國が絡んでいる。同点にされ、どうなることかと思ったら、カップ戦2得点のパトリックが大活躍。森島からのクロスを合わせ、永井にアシスト。そしてジャンピングボレー。気迫が乗り移ったかのようなゴールを観ることができた。その後も、気が狂ったように声をあげ飛び跳ね応援した。そして終了のホイッスル。半年いやそれ以上も待ちに待った勝利の余韻に浸ることができた。それまでの数々の敗戦も、すべてこの日のためにあったのだと思った。試合内容はまだまだだが、グランパスは明らかに変わり始めている。(R6.4/22記)

 

 

読書9‐13『現代語訳 学問のすすめ』Ⅱ

このレベルの政府を我々が選んでいる

今日から懇談会のために短縮授業。そのためか半日があっという間に過ぎていった。子どもが帰ってから、耕運機を使って畑を耕す。まとまった時間があったらどうしてもやりたかったのだ。15時に職場を離れる。夕方は組合の会議に行くのだ。

~国が辱められる時には、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ。~

~天の道理や人の当たり前の情にきちんと合っていることだったら自分の一命をかけて争うのが当然だ。これが国民の為すべき義務というものである。~

「命を投げ出しても」「一命をかけて」という表現が目に付く。昔の人は、命をそんなに大切にしなかったのかも。命よりも国の威厳を保つこと、命よりも天の道理、情との整合性を保つこと。そういった背景があったから、太平洋戦争などの「お国のために」という考えもまかり通ったのかも。

~今この日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があるのだ。~

与党の派閥の裏金問題が起こり、批判の声が高まったのだが、天に唾を吐くようなものだろう。「この方々を選んだのは、自分たちなのだ」と思わなければ、これからも腐敗は続く。(R6.4/19記)

読書9‐13『現代語訳 学問のすすめ』(斎藤孝)

現代語訳 学問のすすめ (ちくま新書)  – 2009/2/9 福澤 諭吉 (著), 斎藤 孝 (翻訳)

視写期間2019年11月26日~30日 視写量5p

~賢い人と愚かな人との違いは学ぶか学ばないかによってできるもの。~

私は学んでいる。本を読み、視写し、ブログにあげることで。もうそれが5年以上になる。

~分限とは天の道理に基づいて人の情けにさからわず、他人の害となることをしないで、自分個人の自由を獲得するということだ。~

天の道理というのは自然の法則のようなものだろうな。今まで自然の法則に逆らってばかりだったような気がする。天の道理など関係なく、自分の努力でなんとでもなると思っていた。それは、思い上がりだったのだ。

~こちらで余っているものは向こうに渡し、向こうで余っているものはこちらにもらう。お互いに教え、学び合い、恥じることも威張ることもない。お互いに便利がいいようにし、お互いの幸福を祈る。~

福沢諭吉の時代は、まだ人々の生活は豊かではなかった。それこそ、こちらで余っているものを渡したり足りないものをもらったりしていたのだと思う。だが、現代は、みんな豊かになった。互いに補い合う関係もなくなってしまったのだろうな。だから、「互いの幸福を祈る」というのは、相手が幸福でなかったら、自分も恩恵がなかった、という意味だ。「互いの幸福を祈る」という感覚は、今の世の中には皆無だろう。(R6.4/18記)

読書9‐12『これでいいのだ!瀬尾ごはん』Ⅱ

手間や面倒を回避することは、自分の力を失うこと

今日もハードな仕事内容。帰宅するや否や、みたらし団子、バナナ、えびせんを立て続けに食べてしまう。そういえば「やめられない、とまらない」というキャッチコピーだったな。せっかくジョギングで帰っても、これでは台無しだ。

~料理が楽しくなったらきっと生きることが楽しくなります。だって自分が生きる原動力を自分の力でコントロールできるんだから。~

私は、給食がない日など、弁当を作る機会があるときは必ず作る。弁当を作るのは自分が休職していたころに養った習慣なのだ。わたしは弁当を作るという技術や能力を手放したくないのだ。

~自分でできることはした方が体は大変でもストレスは減ります。大変と言ってもそれは料理の筋トレだと思って。まずは切れているものを買わないことから始めましょう。もし買うときは、今ある自分の力を失っていくことだと覚悟した方がいい。~

「切れているものを買わない」で思い出したのだが、私はカボチャを一つ買うときに、半分に切ったものを二つ買ってしまう。そう、カボチャを切るのに結構手間がかかるからだ。しかし、それもカボチャを半分に切る力を失っていくことになっている。大変だ、めんどくさい、手間がかかるといってそれを回避することは自分の力を失っていくということなのだ。自分の力を衰えさせないために、弁当作りに限らず、料理に挑戦するべきなのだ。それはストレスを減らすのにも有効なのだ。(R6.4/17記)

読書9‐12『これでいいのだ!瀬尾ごはん』(瀬尾幸子)

食べることは「生きること」そのものであり原動力

これでいいのだ!瀬尾ごはん: 台所まわりの哲学 (ちくま新書)  – 2015/9/7 瀬尾 幸子 (著)

視写期間 2019年11月24日~26日  視写量 3p

ほぼ毎日、料理をするようになって5年以上になる。きっかけは休職である。仕事から距離を置き、家人に代わり料理を進んでするようになった。復帰してからも早く帰宅するのは私であるゆえに、料理の主役の座を譲らない。

~現代の人間は運動をしないまま食べ物をスーパーで手に入れます。何もかも守られ過ぎている中で生き物としての感覚を失ってしまっている気がします。今、うつが社会問題になったりと多くの人がくたびれているけど、こういうことと無関係ではない。みんな自分が「生き物」だっていうことを忘れすぎていますよね。~

外食も、スーパーの総菜も大好きだ。だが、料理をするのは金銭的ハードルがあるからだと思う。「生き物」である自覚があるから料理をしているわけではない。

~食べることは「生きること」そのものであり、原動力。食べて生きていくために、狩りの代わりに食べ物を作るのです。~

食べることは生きること。妙に納得してしまう。だが、「狩り」こそ、自分の仕事、労働だと思っている。それで賃金を得て、食料を調達するのだから。だけど、働き、賃金を得て、食料を買い求め、料理するまでが「狩り」なのだな。とりあえず、明日も働かねばならない。そのためにきちんと食べたい。(R6.4/16記)