読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅶ

「ありのまま」というのは「今のまま」と違う

1時間年休を取って帰宅。実は最近マイカーを買い替えたのだ。今日が納車の日。保険の手続きの電話、荷物の入れ替えなどでバタバタ。書類のやり取りで業者の方をリビングに招き、コーヒーの差し入れ。「おいしいです」と言われていい気分になった。慣れ親しんだ車とのお別れは寂しいが、新調した中古車で気分一新だ。

今日は「ありのままの自分」に注目する。

~今生き辛さを感じている人は、「ありのままの自分」でいてはいけないというメッセージを過去にたくさんもらっているのかも知れません。問題行動を起こす人は「ありのままの自分」ではいけないというメッセージをたくさんもらった人ということになります。指示・命令に従えたら「いい子」で従わなかったらダメな子。~

自分は今のところ、生き辛さを感じていない。ありのままではいけないとはそれほど言われてこなかったのだろう。

~「やればできる」という声かけをしがちです。見方を変えれば「やればできる」ということは「今のあなたではダメ」というメッセージを伝えていることになります。当たり前と思っている表現の一つ一つにも相手に対してストレスを与えている場合がある。~

「やればできる」はギャグになってしまっている。私もついつい子どもにこの言葉を使ってしまう。使い方次第では、この言葉が励ましにも勇気づけにもなるのだ。だがストレスになっていてはいけない。子どもの表情や反応を見ながら使わなくてはならない。

~人間は皆弱い生き物です。自分の弱さも駄目な部分も欠点もすべてありのままの姿を見せられる親は、親自身が「ありのままの自分」を受け入れていることです。「ありのままの自分」でいいと思える子どもになってもらいたいのなら親が「ありのままの自分」であればいいのです。「しっかりした親」は「ありのままの自分」ではいけないというメッセージをたくさん持っている親なのです。~

私は教え子に、「ありのままの自分」でいいと思える子どもになってもらいたいとは思わない。無理はさせてはいけないが、成長や変容を期待している。親はどうだろうか。子どもには、自分自身のことは好きでいてほしいけど、「今のままでいい」とは思ってほしくないだろう。「ありのまま」と「今のまま」とは意味が違うか。(R6.2/26記)

グランパス『0ー3 ホーム鹿島戦』

ホーム開幕で3失点は歴史的敗退

J1 第1節  2/23(金)18:00  豊田スタジアム

隣市のショッピングモールで娘や孫たちと過ごす。15時ころに発ち、豊田市街に駐車して商業施設で小休憩。そこのトイレで、子どもが嘔吐するというアクシデントに遭遇。不吉な予感は見事に的中することになった。

寒いことは予想していたのでガッツリと厚着していった。試合は予想以上に寒かった。前半は三國井上の急造DFも無難にこなせていた。攻撃のキーマンは山中久保の両サイドだと思うが、どちらも攻めあがるも、FWまでボールが行かない。後半、予想通り中山永井を投入するも持ち味のスピードある展開は見られなかった。

主力にけが人が多く、もともと心もとないメンバーなのにワンボランチの稲垣が下がり気味になるため、森島和泉も前に出られず、ボールを前に運べない。前半を0-0で折り返して後半間延びするところをスピードある選手を投入し攪乱したかったのだろうが、早めの失点でプランが崩れたというところか。FWも最後の切り札パトリックがスタメンなのだからやはり人材不足なのだ。

ここ何年かは優勝争いを前提に観戦に臨んでいたのだが、今年は一桁順位争いが現実的なところだろう。たくさんの人員を獲得したのだが、けが人は出るし、戦力的に計算できない者も明らかになっていくだろうから、今後もメンバーは変わっていくのだと思う。帰りに寄った食堂の南蛮唐揚げ定食も予想を裏切らない美味でよかった。(R2/24記)

歌ボラ『O施設』

マンネリ打開の方策はあるのか

歌ボラ『O施設』マーチンD28

曲目:夕焼け小焼け/シャボン玉/富士山/ふるさと(以上ハーモニカ)/バラが咲いた/上を向いて歩こう北国の春/どこかで春が/春よ来い/楽しいひな祭り/七つの子/幸せなら手を叩こう/東京ラプソディー/なみだの操/怪傑ハリマオ/影を慕いて/たれか故郷を思はざる/ふるさと

O施設は毎月訪問しているが、マンネリ化することを恐れている。季節ごとに童謡を変えたり、新曲にしたりと工夫はするものの、プログラムの基本構造は変えられない。なので、どことなくマンネリの負い目を感じながら進めていた。そして今回の新曲は総じて7曲。練習はしたものの、新しい曲は不慣れでプレッシャーである。思いのほかの陽気もあり、汗をかきながらの1時間だった。

北国の春」は予告し忘れたので、替え歌を歌わず。「どこかで春が」はみんな知らない感じだった。「楽しいひな祭り」は今日しか歌えない。「なみだの操」はまあまあ。「ハリマオ」は盛り上がった感じ。

次回は3月9日のC施設、「どこかで春が」「ひな祭り」は見直したい。次のO施設訪問は3月26日。(R6.2/24記)

映画『マダム・ウェブ 』

酷評は気にするな、十分楽しめるぞ

マダム・ウェブ  2024年2月23日公開-118分-サスペンス/ミステリー/アドベンチャー  監督 S. J. Clarkson 制作国 アメリ

今月2度目の3連休の初日。ショッピングモールで娘、孫と過ごす約束をしており、私は早めに現地に乗り込み付設シネマで映画鑑賞することにした。絶妙のタイミングで鑑賞できる機会に恵まれた。マーベル初のミステリーであり、予告編にスパイダーマンらしきものが出たら、見ずにはいられない。

ご存知のようにレビューは酷評であるが、私はじゅうぶん満足した。というか、そもそもマーベルはコミックなのだ。言い換えれば漫画。そういうジャンルに多くのもの、崇高なものを求める方がバカげている。

ヒロインのダコタはとても魅力的である。燦然たる主役のオーラを放っている。危機に立ち向かう健気さを応援してやりたくなる。ヒーローになる過程も不自然さはなく、これまで「~ビギンズ」といってヒーローの存在を知ったうえで、後付けで描かれる作品が多かったが、初見で序章的な作品を観るのが新鮮であった。予知を武器にするという面白味も味わえた。ラストシーンのダコタからXメンのプロフェッサーを連想してしまったのだが、そういうことなのか?(R6.2/24記)

読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅶ

いじめ指導に気づきや深まりなど求めるな

弱い雨に打たれながらもジョギング通勤。明日は祝日なので一足早い週末がやってきた。帰りもジョギングで途中、カフェに立ち寄る。家人が勧めていたチーズケーキをつまみに読書。久しぶりに贅沢に時間と金を使った。

いじめ問題について書かれている。

~いじめられた子どもの気持ちを考えさせて、いじめのひどさや残酷さを理解させようという考えは理解できます。しかし、マニュアル通りに授業が進んでいくだけで何か新しい気付きは得られません。~

自分のクラスにいじめが起きるなんて考えたくもないことだ。被害者、加害者から聞き取り、事実確認をする。それぞれの家庭へも報告をする。上司へも報告、いじめ対策委員会など会議にも報告。いじめ事案に対し、「新しい気付きを」なんて悠長に構えてなどいられない。

~いじめた加害者は悪い奴で、いじめられた被害者はかわいそう。だからいじめはしてはならない、シャンシャンです。これではまったく深まりません。~

~「加害者の視点」から始めるのです。「いじめた子どもの心理」を最初に考えさせるのです。いじめる場合にも、いじめる側の「理由」があります。その理由を明らかにしない限り、本質的な問題には迫れません。いじめられた子どもの気持ちを考えさせると、なぜ「いじめてしまうのか」を考える機会を奪うのです。~

いじめた子どもの気持ちに焦点を当てることに新しさは感じる。が、いじめた側の理由はどれほど明らかになるのだろうか。問いただしても「面白半分」など、納得のいく答えは得られない気がする。逆に、いじめられた側はというと「いやな気持ち」という程度の言葉しか返ってこない。気持ちを考える云々ではなく、「ダメなものはダメ」と両断した方がいいかな。(R6.2/22記)

読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅵ

自立志向は人と繋がることを阻害するのかもしれない

今日は一日雨だった。昨日感じた「やらねばならないこと」は今日、大方片付けることができた。急いで帰宅して、洗濯物を室内干しした後、娘や孫のために大量のカレーを作った。職場でも、家でもあくせくと体を動かしている。

「我慢」というワードが目に留まった。

~受刑者は抑圧し、我慢を繰り返し、最後に爆発しているのです。私たちは爆発とまではいかなくとも、抑圧し我慢をする生き方をしていないでしょうか。当たり前だと思い込んでいる価値観が私たちに生き辛さをもたらしている場合があるのです。~

受刑者も我慢が足らなかったから罪を犯したわけだ。我々は、というとそんなに我慢しなくても生きていられる恵まれた環境なのかもしれない。私は抑圧され、我慢をして、仕事や家事をしているのだ。「仕事や家事など当たり前だ」という価値観もあるだろう。生き辛さと思ってはいないが、もう少しのんびりさせてもらってもいいかな、という期待はある。

~「我慢できること」は見方を変えれば「自分の気持ちを出さ(せ)ないこと」になります。また、我慢することは「人に頼らない態度」を身につけることになり、他者との間によい人間関係を築けなくなります。~

私は少々我慢して家事をしている。人に頼らずに自分でこなしている。そのことが「良い人間関係」を築けなくしているとは思えない。でも、もう少し我儘になって、家人に頼ってもいいのかもしれない。そういうつながり方もあるのかもしれない。

~我慢できる、一人で頑張る、弱音を吐かない、人に迷惑をかけないといった価値観は、見方を変えると「人とつながること」を阻害する要因にもなります。~

学校教育は子どもの自立を育むことを主眼にしている。私は特別支援を担当しているのだが、子どもが、できない場面に遭遇することが多い。そんな時には遠慮なく「できないなら周りの人に頼みなさい」というようにしている。それも生き方の一つである。(R6.2/21記)

読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅴ

真の反省は感情の吐露から始まる

まさに春のような一日だった。ジョギング通勤でもヒバリの鳴き声を聞いた。

週が明けて、自分がやらなくてはならない仕事が一気に噴き出してきた。「だいじょうぶ、できる。それも、勤務時間内に」そう、言い聞かせた。

~彼らは「愛してほしい」と素直に表現した経験がない。素直に愛情欲求を表現できなかった理由は親が彼らの愛情欲求を受け止める人ではなかったからです。~

彼らというのは受刑者。誰しもなかなか「愛してほしい」とは表現できないだろうな。親が子どもの愛情欲求を叶えられないというのも家庭環境の一つなのだ。恵まれない家庭環境が犯罪を引き起こすということ。

~自分を大切にできない人間は他者を大切にすることなどできません。逆に言えば、自分を大切にできるからこそ、他者を大切にできるのです。自分を大切にできない理由は自分自身が傷ついているからです。~

私には「自分を大切にする」ということがよく分からない。自分を大切にしないというのは、自暴自棄になるということか。自分を大切にするというのは、自己中心的にならないだろうか。自分を大切にしすぎて他者を傷つけてしまう場合もある気がする。

~真の反省とは自分の心の中につまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出せると自然と心の中から芽生えてくるものです。~

まさに待ちの姿勢だ。まずは感情を吐き出させること。感情を吐き出すことも、表現の一つ。感情表現が苦手な者に対してもやはり待つしかないのか。(R6.2/20記)