読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』Ⅸ

梅雨の晴れ間。今日は最高気温が32℃にもなるそうだ。

~必要なのは行動である。自分に何らの価値も実感できなければ、自分を肯定できるはずがない。自分の価値を実感できる行動をすることこそ、自己肯定感に至る道である。~

無価値感に陥らず肯定感を高める手立てである。私は組合の幹部を務めているので、どうしても労働に意識が向いてしまう。

教員の労働問題の一つに長時間労働が挙げられる。長時間労働が続くと、病気休職が増え、最悪の場合は過労死に至る。ましてや教員は、給特法のせいで残業代が発生しない。組合としては、教員の長時間労働解消が課題となるわけだが、市教委や管理職が命じなくても、教員が進んで長時間労働に応じているのが実態である。

だが、「自己肯定感を高めるには価値を実感できる行動が必要」ということであれば、納得がいく。教員の仕事は、おそらく他の職業よりもはるかに自分の価値を実感できるのだ。教員は個人事業主のようなものだ。学級を受け持てば、自分の仕事がダイレクトに子どもに反映する。自分の価値を実感できるというのは、ある意味、快楽のようなものだ。長時間労働をする教員は、残業代などもらわなくとも、自己肯定感が高まれば、十分満足なのだろう。逆に言えば、正規の勤務時間をみっちり働いただけでは、自分の価値を実感できないということになる。プラスアルファをしないと価値は得られないということか。

~自分なりに幸福な生活像を描いて、その実現のための地道な行動を継続したからこそ、人並みの人生を作ることができたのだ。~

~自分探しとか、自己探求などに逃げることは止めよう。「なりたい自分」の姿を明確に描いて、その実現に向かって努力していく中で、自分が形成され、自分が見えてくるのである。必要なのは自分作りである。~

「なりたい自分」がわからないからこそ、自分探しや自己探求をするのだろう。今や我が国は「豊かな国」となり、なりたいものが見つからなくても生きていける。何不自由なく暮らしていけると、何のために生きているか、生きることにどんな価値があるのか、わからなくなってしまうのではないか。(R5.6/17記)