読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』Ⅸ

時間外勤務をしないという哲学を持とう

バレンタインデーであった。しかし、職場ではまったくそんな気配はなかった。昔は義理チョコというものも存在したな。そういえば先日も近所の洋菓子店に行ったのだが、以前はこの時期、たくさんの客で賑わっていたのに、今年はまったく混んでいなかった。低賃金、物価高の影響でチョコで浮かれている場合でもないのかもしれない。

プロテスタンティズムが発祥し「資本主義の精神」が誕生したヨーロッパにおいて、1979年当時、すでに勤勉が過去のものとなり、それは反社会的な行為とみなされることもあった。その一方、日本人は、ずっと勤勉であり続け、すでに働き中毒と形容しうる段階に達している。~

プロテスタンティズムの特徴は「聖書主義」「信仰主義」「大衆の祭祀」』という文を見つけた。そこからは難しくて分からないが、信仰と勤勉は相容れないものだという気がする。勤勉になるということは、神を信仰しないで、会社や仕事を信仰するということなのだ。

~なぜ人間は勤勉でなくてはならないのか。なぜ怠惰ではいけないのかということを私たちはまず問うべきである。次に人間は怠惰でもいいではないか、怠惰であるべきではないか、と開き直ってみる必要がある。~

私が休職した時、真面目に働いても報われないのだという思いが強くなり、働くことが馬鹿馬鹿しくなった。仕事に対するやる気がなくなったのも休職の原因だ。今思えば、報われることを期待すること自体が間違いだったのだ。

~報酬の多いことより労働の少ない方を選ぼう。最後に怠ける勇気を持とう。怠けの哲学を持とう。~

怠けることを尊重する気にはならない。勤務時間までは精一杯働くべきだ。だがそれ以外は決して働かない。切り替えの哲学を持つべきだ。(R6.2/14記)