読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』(礫川全次)

自発的に働いていると奴隷という感覚はなくなる

日本人はいつから働きすぎになったのか (平凡社新書)  – 2014/8/18 礫川全次 (著)

視写期間 2019年10月26日~29日 視写量 5ページ

節分の翌日だが、娘たちが孫を連れて集まるのは今日。節分の行事も今日行うことになった。娘たちが鬼になり、孫を脅かすというもの。豆まきをして、公園で遊んで、手巻き寿司を食べて、孫たちを風呂に入れて…。週末も駆け足で過ぎていった。

~今日の多くの日本人社員は、みずから進んで過労死、過労自殺への道を歩み、そうした現状について何らの抵抗も示さないばかりか、悲痛の声さえ挙げないという精神状況にあるからである。~

私自身が病気休職をしているので、働きすぎて死ぬとか、自殺するとかという事態は心底看過できぬことだと思う。しかし、病気休職までの働き方を振り返ると、尋常ではなかった。職場にこそ長くはいないが、自宅で教材研究、休日も県外へセミナーへ行くなどプライベートな時間も惜しみなく仕事に費やしていた。

~「社畜」、過労死、ブラック企業。日本人の美徳であるはずの勤勉性が深刻な社会問題を引き起こすという事態に立ち至った。~

社畜ならぬ「学校畜」か。ただそういった極端な働き方も、管理職から命令や指示を受けたからではないのだ。まさに自発的、進んで、仕事に没頭していたのだ。

~「自発的隷従論」ラ・ポエシは、人民というのは、圧制者の力によって隷従させられるわけではなく、みずからの意志によって自発的に隷従しているのだと述べている。~

進んで奴隷になっていたというわけだ。だが奴隷という自覚は全くない。立派な教員になろう、いい授業をしよう、素敵なクラスを作ろう、という夢を持って仕事に励んでいたのだ。そこには「自らの意志」があったのだが、隷従したつもりはなかった。でも今思えば、それも奴隷だったのだと思う。(R6.2/4記)