読書8-10『世界一やさしい「論語」の授業』Ⅱ

今週は良く雨が降る。天気が落ち着かない。きのうも一日グズグズ、時に激しく雨が降った。こうした天気を繰り返しながら少しずつ夏が終わってゆくのだ。

~生きるなんて意味がない、真面目に生きるなんてバカらしいなんて言っとるモンはしっかりとものを観とらん証拠だぞ。まずはじっくりと観察し、深くものを観られるようになることが肝心じゃ。~

学校現場でも「じっくりと」という言葉は死語になりつつあるのではないか。スケジュールが過密になり、子どもを急かしてばかりいるような気がする。深く観る、「洞察」ということ。私も「~なんて意味がない」と思いがちである。

~観察で得たことを整理分類して系統だった知識にするが「致知」。~

「系統だった知識」というのが、すなわち学問なのではないか。

~究極の知とは何でも知っているということではなく、知っていることを知っていると言い、知らないことは知らないと正直に言えるようになることなんじゃよ。~

思い出すのは「無知の知」。

~ものの観かたが分かりまとまった知識を得られたなら自分自身の人生をどう設計するかを自分で考える番じゃ。ゆるぎない自分の目標や願望を持つ段階じゃよ。それが「誠意」というステップ。

まとまった知識を得る、というのは学問に取り組むということだ。まずは一心に学問に取り組み、そのうえでようやく人生を設計できるということだ。教師は、キャリア教育とか立志とかでやたら将来を意識させているが、本当はそうではないのだ。早期教育が当たり前になっているのはおかしいのだ。(R5.8/25記)