読書『子ども格差』Ⅳ

日本が追い求めている学力は、時代遅れなのだ。

~日本では常に「他人と比較する教育」が行われているからです。日本の教育観は、国際社会の中では非常に遅れているものです。これから大事になるのは、得られる知識をどうやって生かしていくかという方になるわけです。これが「国際的な学力」になっています。~

「他人と比較する教育」は国民性と繋がっているのだろう。同調圧力の高い社会である。だれもが他人と比べ、目立たぬようはみ出ぬようにしながら、こっそり抜きんでることを望んでいる。遅れている教育観というのは、知識偏重の詰め込み教育のことだろう。遅れていることは重々承知だ。知識活用型、応用型の教育に転換できないのは、予教育予算が足りないからだ。1クラス35人の多人数では、知識詰め込み教育しかできない。

~「学歴はやり直しがきく」というのがオランダのモットーで、「教師が生徒から尊敬を得たいのであれば、まず子供を無条件に尊敬すべき」とする教師と生徒の関係を見習いたいものです。~

我が国はまったくやり直しがきかない。どんなに学力が身につかなくとも、一日も学校に来なくても、一年が経てば進級することができる。やり直しという発想がない。きっとそれは子どもを尊重していないということになるのだろう。「子どもを無条件に尊敬すべき」も無理だ。かつて「三尺下がって師の影を踏まず」という諺があった。昔は世間から尊敬されていた教師。生徒とは絶対の上下関係があったのだ。その名残が抜けきれていない。(R4.4/20記)