読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』22

本日が市教委訪問。私は普段通りの服装で、普段通りのスタンスで授業を行った。特設授業や協議会もないため、心的負担もない。市教委訪問も風変わりしたものだ。

今回のテーマは「快」である。

~快楽とは「今、ここ」を堪能することである。快楽を堪能できない人は「今、ここ」を生きることができない。こうした人にとって「今」とは常に「後々」のための準備時間である。だからいつも何かに追い立てられているようで、気持ちを休ませることができない。~

「今、ここ」と言えば「禅」と勝手に反応する。調べてみたら「般若心経」「マインドフルネス」とも関連がある。過去を生きるのでも、未来を生きるのでもない。「今、ここ」に集中するしかない。それはストレスを溜めないばかりか、快楽の堪能につながるのだ。

~幸福な人生は快体験に満ちている。発達とはより豊かな快体験ができるようになるということに他ならない。~

残業代も出ないのに長時間労働をしている方々は、快体験とは無縁だろうな。私は時間外に、評価やノート点検などをしない。それは「過去」に対するものだ。また、授業準備もしない。それは「未来」に対している。そんなことをしていたらいつまでたっても仕事は終わらない。どちらも、本来「今、ここ」でやるべきなのだ。

~快へ率直な態度は、活力を引き出し、健康を保持する作用がある。心身ともに健康な人は、スポーツなど身体的快を楽しみ、愛情に彩られたセックスを楽しみ、読書や映画、演劇やその他文化的精神的快を堪能している。~

自分が活力あふれ、健康かどうかはわからないが、このブログで分かるように文化的精神的快を堪能している。自分でもびっくり。

~豊富な快感を体験するためには、生活設計に楽しみの計画を組み込むことである。中、長期の計画では、旅行、趣味、特技などの向上、新たな挑戦などである。短期的には毎月、毎週のスケジュールに楽しみを組み込む。さらに毎日ちょっとした楽しみの時間を持つようにする。~

楽しみの計画を組み込むのは大好きで大得意だ。だが、他人と関わる飲み会の企画は正直、ちょっと苦手だ。今、毎日のちょっとした楽しみは、読書くらいかな。もう少し工夫があってもいいかな。(R5.7/10記)