読書『仕事なんか生きがいにするな 』Ⅴ

「愛」の経験以外に、「生きる意味」感じる手立ては、「日常」だ。

~色褪せたニュアンスをまとった「日常」というものをいかに非日常化して区別なく味わい深いものにできるか。つまり、人生の時間を丸ごと「遊ぶ」ことができるかが問われてくるのです。物事を深く味わうためには、その物事に向かって「小児」のように創造的に「遊ぶ」ことが大切なのです。~

~あえて無計画、無目的に、自分の行動を「即興」に委ねてみることによって私たちの決まりきった日常が、ささやかながらもエキサイティングな発見と創意工夫に満ちたものに変貌するわけです。~

明日は休日だが、私は劇場の上映スケジュールを見て、観たい映画を効率的に観るための計画を立てている。かつては、いや今でも、仕事をするときは見通しを立てて取り組んでいる。夏休み前の子どもに宿題の計画を立てるように勧めている。学期のはじめには目標を立てさせている。仕事で、計画を立てること、目的や目標を持つことを重んじられ、休日の過ごし方さえもそれに侵されているのだ。計画病、目的病だ。

計画を立てたら、目標を立てたら、目的を持ったら、それ以上の興奮、感動は得られないのかもしれない。せめて仕事以外は、計画や目的に縛られないようにするべきかもしれない。でもなかなか、その域に達することができない。

仕事を生きがいにするつもりはない。生きがいになるほどの成果もない。では仕事以外の時間を、どうすごしたら生きがいに値するものにできるだろうか。まず計画病を見直す必要がある。(R3.10/22記)