読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』Ⅵ

要は自分なのだ、と思わせる記述を見つけた。

~感情を決めるのは出来事そのものではない。出来事をどのように受け止めるかによるのであり、その受け止め方が自分で選択したものである。~

~大人になれば自分の気持ちも性格も、進学や就職なども、自ら選択した結果に他ならない。今の自分とは、これまでの自己選択の結果なのである。つらい、苦しい、今の心の状態とは、自分でそうした状態にしているのである。~

私は小さな教員組合の幹部をさせてもらっているのだが、組合員のなかにもいろんな考えがある。例えば長時間労働の問題。組合員のために活動をするのか、広く組合員以外も含めて教員全般のために活動するのかは意見が分かれるところだ。私は前者を支持する。なぜなら、全般的な教員の長時間労働も、やはり自己選択の結果だからだ。だから、助けを求めて組合員となった方のために活動を収斂するべきだと思うのだ。

~幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。~

幸福なのか、不幸なのか。私はそれにあまり関心がない。幸福を感じても、また不幸になると思うし、不幸もいつか去るものだと思う。いわば天気みたいなものだ。ただ、幸福か不幸かを気にしている人って、幸福には見えない。

~自分の人生は自分しか作れない。これからの自分についての責任は自分しか負うことができない。自己憐憫のらせん階段を降りる人になるのではなく、希望への階段を上る人になろう。それを決めるのは自分自身である。~

これを読んで、正直、勇気づけられる自分がいる。希望への階段、いいなあ。(R5.6/12記)