読書『人生を面白くする 本物の教養』Ⅲ

孫娘の見舞いに行ったら、胃腸風邪をうつされてしまったようだ。まる一日何も食べなかったのは本当に久しぶりだ。

アメリカというゴールが誰の目にもはっきり見えている。戦後の日本は、自分の頭で考えることを必要としない。もっと言えば、自分の頭で考えない方が都合がいい社会だった。~

~「給与をもらえるのは、嫌なことをしなければならないからだ。給与は辛いことへの対価だ」と教えられました。~

教職を通じて自己実現しようという教員は実は多いのではないかと考える。担任という檻の中で結構仕事に自由度があるからだ。「担任裁量」「学級裁量」という言葉もある。「好きなことをしてお金がもらえるから幸せだ」というかつての同僚もいた。

私も数年前まで、「給与をもらえるのは、自己実現をしなければならないからだ」と心底思っていた。だが、給与をあげる立場からすれば、私の自己実現など興味がないわけで、命じた業務を果たしてくれればいいだけの話である。50過ぎてようやく気付くなんて、やはり自分自身が無知だった、ガラパゴスだったのだ。

ガラパゴス的な閉じた世界の中で、何よりも企業に対するロイヤリティ(忠誠心)が高く評価される風土が出来上がりました。年功序列は成果をある程度無視しますから、ロイヤリティが評価されるのは当然と言えば当然です。ロイヤリティを測るのは労働時間です。こうして長時間労働(付き合い残業)という悪しき労働慣行がはびこるようになったのです。~

教員なんて、ロイヤリティを測るのにもっともわかりやすい職種なんだろう。なにしろ残業代が出ないのだから。私も体調が悪くて途中退勤するとき多少の後ろめたさを感じたのだ。教員の長時間労働が常態化しているのは、自己実現しようという思いと忠誠心の提示の2つが重なっているのだろう。(R3.12/21記)