読書6ー13『「おもてなし」という残酷社会』Ⅴ

ちゃんと教員の世界についても書かれていた。

~教育の世界までサービス産業のように扱い、予算削減、人件費削減に走るのであれば、教員という仕事も一つの職業として開き直って勤めることができないと身が持たない。~

どの仕事だって、それなりに立派だ。

著者もきっと「教員は特別な仕事だ」と思っているのだろうな。非正規教員が激増し、人件費削減はよくわかるのだが、予算削減はどうだろう。残業手当もつけずに自主的に長時間労働してくれるのだ。昔から低予算だったのではないか。

~かつては生徒や学生のためにといった教育的情熱によって行われていた教員の仕事が、サービス産業の一環として生徒、学生やその保護者をお客様として位置づけ、感情労働=「顧客満足のための演技」として行われるようになる。そこで感じる自己矛盾や虚しさによって教員はいよいよストレスを溜め込むことになるのだ。~

ずいぶん前からだが、通知表の所見欄に子どもの欠点や短所を書くなという指導が入るようになった。「お客様化」はその頃からだろうな。お客様に対して失礼、ということだろう。さらに10年ほど前から「学校評価」「保護者アンケート」なるものが導入された。こうして教師の権威は総崩れになり、子ども、保護者、地域のいいなりになり、教員の「奴隷化」が進んだのだ。

~子どものためなら時間や労力で犠牲を払っても心を尽くすべきだといった感覚が多くの人々の心の中にあるからなのであろう。子どもの楽しそうな笑顔を見ていられるのだから、多少の犠牲を払っても、それで十分報われているはず、だから労働者の権利の主張などせずに子どものために尽くすべきだ、といった感覚を職員が強いられる雰囲気もある。~

「子どものため」という言葉は恐ろしい。私は軽々しくこの言葉を使ってはならないと思う。そんなの共通理解、当たり前だし、当たり前のことをわざわざ声高にする人は逆に信用できない。我々は教員。教員という名の労働者。労働者は使用者に命じられた業務をするだけ。それでいいと思う。(R4.6/20記)