読書6-17『ストレス一日決算主義』Ⅶ

呼吸に対する考え方を変えるのだ。

~人間が「生きている」のはそのまま「息をしている間」と言い換えることができるわけです。だから生きている証拠は「息をしていること」だと私は考えます。~

なるほどなあと思う。私は毎週、禅寺に通い早朝座禅をさせていただいている。座禅の何よりのポイントは呼吸である。姿勢を整え、大きく息を吸い、少しずつ長く吐いていく。ただその繰り返しである。呼吸することに集中させられるわけだ。

~赤信号で立ち止まった時などイライラしながら待つよりも、意識して呼吸ができる「ラッキータイム」と思ってみましょう。「今この瞬間を生きている」ことを一日に何度も実感してみてください。きっと元気とリラックスの両方が得られるはずです。~

我々は対人関係や日常の諸事に対応しながら過ごしている。そうこうしているうちに外的事象に心を奪われ、自分をすり減らしたり、自分を乗っ取られたりしてしまうのではないか。それがストレスや心の病につながるのではないか。だからこその呼吸なのだ。 呼吸をすることによって「生物の自分」に立ち返り「自分の生命」を取り戻すのだ。

そういえばこんな記述もある。

~「アナログからデジタルへ」という世の中の趨勢に伴って、やはり心の病気は増加しています。一言言葉を交わすことで「私はあなたの敵ではない」というコミュニケーションをとることが目的の挨拶に、デジタルの考えはそぐわないのです。~

~現代に生きるものとしてデジタルの利便性は享受しながらもアナログの重要性を常に忘れないことが人間らしい生活を送るうえで求められる。~

座禅だって、呼吸だって、デジタルの世界に全くそぐわない。デジタルの利便性によって心を奪われていないだろうか。生きることの実感を奪われていないだろうか。そうならないために意識して呼吸というアナログを手放さないようにしよう。(R4.7/30記)