読書『 人間であること』Ⅹ

私たちは人間である限り、相手を抹殺する「殺し屋」の血潮をたぎらせている。それにどう対応するのか。

~私たちの先人は、賢い人類の智恵を働かせて、私たち人間を非合理的存在者たらしめている前頭連合野を爆発させないように努力したからである。~

きっと人間の長い歴史にはたくさんの戦いや争いが繰り広げられたのだろう。「殺しの心」との闘いだったはずだ。それをなんとか抑えようと智恵を働かせてきたのだろう。

~これからさきも爆発力の強まる前頭連合野になんとか手を加えて爆発させないようにしなければならない。ここに、個人あるいは集団の責任においてどのように手を加えるかという「人間であるべき姿」を真剣に考え、その姿を人間行為に具現化することが強く要請される。~

たしか伊集院静が「人間は本当は恐ろしい生き物だ」と言っていた。それは前頭連合野が爆発した人間の姿なのかもしれない。だからこそ、「人間であるべき姿」を絶えず追い求めなくてはならない。

~教師として自分はこのように教育していきたいという教育観、社会人として自分はこのように世に処していきたいという人生観、日本人として自分はこのように振る舞いたいという世界観など、人間の理想像をおのがじし胸に画いてその実践に努めねばならない。~

そして、それは教育という営みに大きく関わっている。そんな自分に、教育観があるか。人生観があるか。世界観はあるか。自分にはそんな問いかけが著しく欠落している。

~ここに単なる教育の技術者ではなく聖職とさえ呼ばれる教師としての重い使命がつきまとい、その実践を通じて大きな誇りが体得できるのである。このことは地球上に生を受けているすべての人への提言でもあるのだ。~

聖職さを求められるのは嫌いだ。だが単なる技術者にとどまりたくないとも思う。しかるに自分も同じ人間であるということを忘れずも、教師としての使命を果たさなくてはならない。