読書『 人間であること』Ⅶ

喜びに関わる内容が続く。

~学ぶということは、むしろ苦しいことである。しかし、その苦しさを克服して、学童たちに喜びの心を体得させるとともに、学習指導の真髄があるはずだ。~

「学ぶ喜び」というのはよく研究発表校のテーマとなるキーワードだ。ついつい学びに喜びなどあるはずがない、と開き直ってしまう。確かに、それが学習指導の真髄と言われれば返す言葉はない。

~幸福とは、本能の欲求の充足による快楽ではなくて、成就、達成の喜びの心によって「よく」生きてゆく姿の一齣一齣をかみしめるときの境地である。そしてこの境地に沈潜した自分を見つめる時、私たちはそこに生きがいを体得できるのである。「人は意欲し、創造することによってのみ幸福である」~

今日、私は子どもに何を成就させたか。何を達成させたか。その前に、子どもは何を成就したかったのか、達成したかったのか。それすらも分からずに子どもと向き合っている。

~インスタントの食材、レディーメイドの衣服、フリーセックスによって私たちは手に入れる喜びも、作る喜びも、探す喜びも体得できず、ただ使う快楽しか味わえなくなった。生産の場の家庭は、消費の場に変換し、「家庭の幸福」は空文化している。せめて精神面だけでも、生産の場としての家庭の再建を図らねばなるまい。~

本書の発刊は1970年。50年前ですら、生産から消費への変換を嘆いている。50年が過ぎ、どう変化しただろうか。消費も100円ショップ、ドラッグストア、コンビニですまし、便利だが、物の価値は低下しているような気がする。

~喜びの体得は、あらたな意欲を燃やし、創造行為への推進力になるのである。前頭連合野で営まれる自主的学習には、ほめて喜びの心をいっそう高めてやることがその効果を強化するのである。~

ただただ私ができることは、子どもをほめてやることだけだ。