読書『 人間であること』Ⅵ

思考という言葉にひっかかる。

~私たち人間が思考という精神を働かす限り、迷いの連続、間違いの反復であって、迷いや間違いの否定は、思考の停止、人間性の抹殺に他ならない。迷い、間違うところに教育や研修や訓練の可能性があるといえる。~

テストを採点していて子どもが間違えると「あんなに説明したのに」と眉間にしわを寄せてしまう。迷ってこそ、間違えてこそ、人間だという事だ。だからこそ、我々は教育をするのである。間違いを否定するという事は己の生業まで否定することになるのだぞ。

~作文は思考作用の向上と創造性の開発のための、基本的な精神活動を訓練する極めて効果的な方法である。そして作文を通じて、教師と児童生徒の間で一対一の教育ができるはずである。~

前も記したが「作文指導」なんて遥か昔になってしまった。今やタブレットの時代、書くという活動はどんどん遠ざかっていくようだ。正直私も何枚も書かれた作文を見るのに指導のしがいよりも煩わしさを感じてしまうのだ。「一対一の教育」ができる貴重な機会と思わねば。

~学校教育で児童や生徒たちが授業や学習に心から喜びの心を体得しているだろうか。学童や子どもは、教師が張りのある生活を送る道具に使われていないだろうか。これでは人間不在の家畜教育になりかねない。~

私は子どもたちを、自分の生活の道具にしていないだろうか。子どもが授業や学習に喜びを感じていないのなら、私がしていることは子どもたちを道具に、家畜にしているということだ。それは自分にとってとても厳しい言葉だ。