読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅺ

学校発の全員主義、平等主義が野心を駆逐する

助走の一週間、慣らしの一週間が終わった。来週から平常日課、てんこ盛りの日常が始まる。今日も昼過ぎに子どもは下校しているのに、全くの働きづめだった。結局、一部の仕事をやり残して、割り振りを取って帰る。

~たとえ仕事そのものは楽しくなくても夢や目標があれば知恵を振り絞って少しでも良い結果を出そうとします。夢や目標の魅力がワクワクさせ、やる気にさせるのです。夢や目標がモチベーションの源泉だったのでしょう。~

組合の幹部をしている。時に労働相談に乗ることがあるが、その中で「部活動指導の押し付け」問題がある。部活動はご存知のように長時間労働の要因となっており、顧問になるかどうかは教員にとって大きな問題だ。教員との面接で「体を張ってでもやれ」と脅したり「名前だけでも入れさせてほしい」と泣きついたりする管理職がいる。

~夢や目標が「青天井」であることが大事なポイントです。果てしない夢や目標は「野心」と言い換えられます。野心さえあれば、放っておいてもその実現のために質の高い努力をするのです。~

要するにパワハラであるのだが、なぜ、その管理職は、部活動指導の魅力を語らないのだろう。そんなに必要で、そんなに素晴らしいのなら、なぜ部活動指導の夢を語らないのだろうか。きっと自分も指導者として懸命に取り組んだ時代があっただろうに。夢を語り切ることができない、説得ができないということは、大したことのない活動だということだ。

~野心を抱かせるものが我が国では著しく不足しています。それはおそらく平等社会で格差が受け入れられ難く、個人が突出したり目だったりさせないようにしてきたからでしょう。逆にがんばることはだれにもできるので頑張りを称えるようになったという見方もできます。学校教育はその最たるものです。~

最後の一文は、痛いところを突いている。学校こそが全員主義であり平等主義なのだ。「個性を大切に」という言葉が一時期謳われたが、その意味を分かっている教師はいないと思う。私もわがままをしている子どもに「みんな〇〇だよ」と他に倣うことを強制するような言葉がけをしてしまいそうになる。みんなと足並みをそろえるように勧めてしまいそうになる。それがどっぷりと染みついているのだ。(R6.4/12記)