読書7-3『「こころ」の本質とは何か』Ⅻ

教員は、学校現場の矛盾を押し付けられている。

~現場の努力では解決不能なことですよね。教員の精神失調がとても増えていますが、この状況下ではむりからぬ気がいたします。~

矛盾だらけの学校現場で、教師のストレスが溜まる。ストレスが溜まるとどうなるか。3通り考えられる。それは、教員の不祥事、上司からのパワハラ、そして心身の不調からの病気休職。私は組合の活動をしているが、パワハラ案件の相談は、毎年のように寄せられている。

教員が不祥事を起こすと、市教委はマスコミに対し平身低頭し、内輪の教員の管理を一層厳しくする。教員を過重業務で縛り付けていることが不祥事の要因の一つだということになぜ思いを巡らせないのだろう。

~教員が不祥事を起こせばこんな教育状況に子どもをゆだねられようかとの声は上がっても、教員一般を日常的におおっている過負荷と消耗に対してこのままで子どもたちは大丈夫かとの声はあがらないでしょう。人々の意識のなかで公教育はひとつの「サービス業」に過ぎなくなっています。~

教師の働き方がブラックであることはある程度認知されていると思う。だが、それが子どもたちの成長に悪影響を及ぼすのだということになかなか結び付かないのだ。例えば部活動。それにより中学校教員の時間外勤務は増大している。部活動指導は控えて、学力の育成に専念してほしいという声はなぜか大きくならない。

保護者もそんなに学校に期待していないのだ。保護者自身が働いている間、子どもの面倒を見てくれさえすればいいのだと思っているのだ。「教育」ではなく、「保育」だな。子どもを預かるサービス業だということだ。学力は塾で身につければいいと。

~親はもとより教育行政者までも含めて、私たちのあいだに学校をかけがえのない公共の場と感受して支える共同意識がすっかり薄れていることがよくわかりますね。子どもたちに学校が大切な場と感じられなくても、無理もないことかもしれません。~

教師は、いったん外に出れば、実はそんなに大きなことを求められていないのだということが分かるだろう。力むな、気張るな、がんばるな。(R4.11/9記)