読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅹ

「全力」「精一杯」で終始してたら進歩ないよね

仕事から解放され久しぶりにゆっくりできる日。カフェに立ち寄り、ゆずシトラスティーを注文し、小1時間の読書。帰宅し、洗濯物干し、料理、歌ボラの練習をする。

~会社や役所でもただ成果を上げるだけでは不十分で一人ひとりが持っている能力を100%、いや120%発揮するように求められます。常に最大限の努力が求められるという意味では、無間地獄のような厳しさがあります。裏を返せばたとえ成果が上がらなくても「全力」で「精一杯」努力すればよいわけです。~

学校教育でも「全力」「力いっぱい」は合言葉と化している。「全力」を出し切らないのは「態度が悪い」と捉える傾向がある。教師は子どもに、何事にも一心に取り組む姿を求める。その姿に美しさを見出すのだ。学校で習うことなど、そんなに高度ではない。全力出させればだいたいなんとかなってしまうものなのだ。全力で漢字を反復練習させる。全力で九九を暗唱させる。ほぼ根性論で通ってしまうのが学校教育だ。

~がんばることそのものには何の価値もありません。にもかかわらずがんばりに甘い社会や組織はがんばることを自己目的化させてしまいます。そして努力の質は劣化し、社会も組織も衰退していくでしょう。~

それでほぼ義務教育までくらいは通用するだろう。だが、それ以降は「努力や根性ではなんともならない世界」が待っている。努力だけではなんともならない。才能や運命、幸不幸などからんでくる。だから一般社会で、「がんばり」を求めたり認めたりするのは、もしかしたら幼いこと、学生時代から進歩ないことなのかもしれない。

~どれだけ仕事に時間とエネルギーを投入できるか、私生活を犠牲にできるかが問われる社会を変えなければ女性の活躍も絵に描いた餅で終わることを肝に銘じておくべきでしょう。~

「全力」とか「精一杯」というのは万策尽きた最後の手段だと思った方がいいのかも。(R6.4/11記)