読書9-2『新しい幸福論』Ⅵ

慣習も、制度も、長い間続いてきたものを変えるのは難しい

昨日に続いて組合活動。2時間年休を取得し、2時過ぎに職場を離れる。帰宅後、すぐにアポ取りの電話。そしてすぐにマイカーで高速を使って現地へ。仕事で忙しいのではない。仕事とは関係ないことで巻き込まれている。

~あえて両者の格差を是正しようとすれば、人々、あるいは第三者なり政府は強硬なことをしなければならない。それをすれば、お互いが破滅に至ることもあるのでここは静かに格差の存在を容認しておいた方が無難である。~

両者の格差を是正するとは、高負担高福祉の国にするということ。それは小さな政府の我が国にとっては強硬なことになるのだろう。強硬なことをして失敗するかもしれない。今ほどの格差はまだ我慢できる程度だということか。

~弱くて不利な立場にいる人すら、格差を是認することがある。人間の心理として現状を維持して肯定しようとする動機が存在する。現行の制度やシステムが長い間存在してきたのであれば、そのこと自体が公正で正当なものであるとみなすにふさわしいと錯覚することすらありうる。~

例えば通学班という制度。文科省は教員の多忙化解消のため、登下校にかかわる指導をしなくてもいいとしている。登下校にかかわる指導とは、単に登下校の見回りで済むものではない。通学班を組織し、指導することも含まれる。通学班のトラブルなど年中行事である。本来なら学校に来た子どもに勉強を教えるのが教師の仕事である。子どもが通学班で来ようと、親の送り迎えで来ようと、それは教師の仕事の範疇ではない。本当にくだらない制度だと思う。だが、長い間存在しているため、それが公正で正当なものであると錯覚されているのだ。

~自分と同じく恵まれている集団に属する人や、逆に恵まれていない集団に属する人がほかにも多数いるので、別に優越感や劣等感を持つ必要はない、あるいは野心や嫉妬心と無縁であるとしてもよい。~

辛いのは自分だけではないと不満も和らぐのか。とすると、もっと格差が広がっても問題ないということか。(R5.12/19記)