読書8-16『文明としての教育』Ⅳ

今週の勤務日は3日間。慌ただしい日々が終わり、明日から3連休。といってもほぼ家族サービスで消えてしまうのだが。

~この時一つの爆弾的な提案をしたのです。学校を週3日制にして残りの時間を生徒の自由な自己研鑽の時間に充てようという提案でした。~

学校を週三日制にしてもいいし、週五日は保ち、午前中授業でもいいと思う。午後は、習い事でもいいし、子どもの自由な裁量でいいと思う。

~私の主張したかったことは、義務として生徒の学ぶべき科目を精選し、その部分は現在よりももっと強制的な力を持って教えるということです。~

現在の学校は学ぶべき内容が多すぎる。教科数が多いだけでなく、交通安全教育、食育、キャリア教育、健康教育など訳の分からないほど盛り込まれ肥大化してしまっている。教師はそのすべてに注力することを求められ、子どもに本当に大切な学習事項を身につけられないでいる。

今日、とある美容師から話を聞いたのだが、その方は、高校を出て、専門学校に行って、美容師の免許をとったという。これでいうと、「高校を出て」というのが、美容師になるのに不要に思えるのだ。高校の期間をもっと美容師の研修期間にあてれば、もっと腕のいい美容師が増えるだろう。

~私に言わせればサービスとしての教育の部分はもう一度学校の外に出し、そのための指導は社会の教育機能に期待しようということでした。いっそ生徒を教室の外に出してしまって、実社会の中でもっと厳しい教育を体験させようと主張したのです。~

学校教育のサービスの部分は手放すべきだ。だが、学習とはほぼ関係ない部活動でさえ、なかなか手放せないのが実情だ。受け皿がないとか、指導者がいないとか、そういった先回りした理由を見つけて抱え込んでいる。減らすこと、止めることが苦手なのも教員の性だと思う。(R5.11/2記)