読書8-7『ルポ 過労社会』Ⅱ

今日、ある学年で研究授業が行われた。子どもの下校後に協議会をやるという噂を聞き、まよわず3時からの年休取得。子どもを下校させねばならなかったので、職場を出たのは3時半ごろ。でもまあ構わない。ジョギングや徒歩で汗だくになりながら帰宅。

グローバル化ということであれば、今の我が国の労働時間が長時間となっている実態、この辺をまず国際標準レベルにまで短縮する。そのことこそ、真のグローバル化ではないのか。~

教員の労働時間も他の国と比べると長い。おそらく世界一だろう。それは、部活動、生活指導など雑務も含め、我が国の教員の業務が多岐にわたるからだ。

~効率よく仕事をこなす人を評価するような職場風土に生まれ変わらない限り、ワークライフバランスは夢のまた夢だ。~

教員の世界も、効率よく仕事をこなす人を評価するような職場風土になるのだろうか。私は難しいと思う。

私が職場で周りを見回しても、管理職からの評価を気にしている教員はほとんどいない。管理職からの評価なんて関心がないのだ。では教員は誰からの評価を気にするか。それは、子どもや保護者だ。教員は、子どもや保護者から悪印象を持たれないためなら、良い評判を得ることができるのなら、長時間労働も厭わない。

子どもや保護者は、その教師の業務の効率性になど興味がない。授業の技術、献身的な態度、教育にかける情熱、外見、年齢、体型、そういったものからシビアに評価を下すのだ。

よく「保護者は子どもを学校に人質にとられている」という言い方を耳にするが、「教師も保護者や子どもに人質にとられている」わけだ。教員評価制度があるが、管理職も教員をシビアに評価する気はないのではないか。管理職が指導しなくても、教師は子どもや保護者からの評価を気にして進んで働いてくれるのだから。

そういう意味でもやはり教育現場での労働生産性は無縁だと言える。(R5.7/18記)