読書8-11『独裁力』Ⅵ

午後からなんとなく体が重い。足もだるい。先週、いろいろとバタバタあって、その疲れが来ているんだろうか。ここのところ雨が降り続いている天気も影響しているだろうか。

~個人の努力や才能だけではどうにもならないことがある。功名心にかられて高い地位に就こうと汲々とするよりも、人間力指導力を磨く方がより有意義な人生を歩めるのではないだろうか。~

努力や才能だけではどうにもならない。そのとおりなのだが、そう割り切るのには時間がかかるのだ。私は、数年前まで「努力すれば、なんとかなる」と信じて疑わなかった。仕事、組合活動、趣味などすべてに右肩上がりを求めて邁進していた。だが結局、仕事で大きな挫折をし、休職になる。「人気があり、信頼され、授業が上手い教師になる」という理想は、功名心だったわけだ。休職を経て職場に復帰してからは、仕事に関する努力など一切止めた。いくら教育技術を磨いても、仕事を辞めたらどうせ無駄になる。それより、人間力を磨いた方がよほどいい。

~まずは崇高な理想と高い志を持っていること。そして理想とする目標を成し遂げるための「胆識」を備えていなければならない。「胆識」とは何かを成し遂げるための決断力や実行力を伴った「見識」のことで、その見識を身につけるには、知識を増やし、様々なことに挑戦して研鑽を積むことが不可欠だ。~

「人気があり、信頼され、授業が上手い教師になる」というのは、崇高ではない。個人のただの欲望だ。「教育という分野で、市民のために働き、社会を善くしていくこと」ならよいだろうか。

~学習に必要な集中力や持続力は、きちんとした姿勢を維持できる体力、筋力があって初めて保てるもの。四肢を使うことで知能が発達し、遊びやスポーツを通じて思いやりや協調性、ルールを守ると言った社会性が育まれていく。~

外遊びに消極的な子どもたちが多いので、ラジオ体操は、朝の会のメニューに組み込んでいるのが自分のこだわりである。体力、筋力、知力を養いたい。(R5.9/12記)