読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅴ

学校教育の「努力主義」は見直すべき

入学式前日。ぎゅうぎゅうづめの忙しさだが、12時の休憩時間開始には手作り弁当を開いて食べる。その後は休憩時間終了まで読書。入学式もコロナ前のやり方に戻すことになりリハーサルをする。人類はあの感染症を乗り越えたのだ。

~「貧すれば鈍する」で業績悪化が続くと、企業も人も冷静な判断ができなくなり、ただ闇雲にがんばるといった状態に陥ってしまった。~

ただがむしゃらに、というのがダメなんだろうな。あせったり、感情的になったりして冷静さに欠けるのはよくない。それは分かっているのだけれど。

~とにかくがんばれば報われるという素朴な処世術にしがみつき、いつまでたってもそこから脱却できないからでしょう。~

~「がんばれば報われる」というイデオロギーは、教育の世界に広く浸透しています。~

そうだろうなと思う。こちらもやすやすと「がんばれ」と声かけをしてしまう。こちらの都合でがんばらせている。熱心な教師と思われたいという下心もあるかもしれない。小学校のうちはそれでも何とかなってしまう。それでほとんどの生徒が普通科を目指し、受験競争に駆り立てられる。その子にとっては将来何の役に立たない教科を学習させられる。全員にがんばらせようとする学校教育の「努力主義」は見直さなくてはならないと思う。(R6.4/3記)