読書『アベノミクスの終焉』Ⅲ

アメリカンドリームはいまいずこ

ついに今年度が終わった。午前の修了式などで十分疲れたのに、午後も職員作業。頭も体もエネルギーを使い果たしたので、割り振りを取って帰らせてもらった。カフェで読書をし、そしてディーラーへ修理明けのマイカーを取りに行く。明日は車内クリーニングを業者に依頼する。

~公立学校が充実していれば貧しい家庭の子どもでも高い教育を受けることができる。北欧諸国では大学教育も無料で受けられる。こうした北欧諸国の制度が社会の流動性を高めると同時に、高い生活水準を維持するのに役立っていることは否定できないであろう。~

羨ましいと思う。大学教育も無料ということは、費用を税金で賄うということだ。そんなこと我が国でできるはずないと思う。国民は教育に関心がないのだ。政府も、何をおいても経済を優先する。その次に外交。そして福祉といったところか。教育が話題になったことは皆無だ。我が国の教育は家庭の経済力と教師の無償労働で成り立っている。

~この点で全く対照的なのがアメリカである。義務教育のレベルにおいてですら、貧しい地域の公立学校は、人も設備も貧弱である。アメリカでは貧しい家に生まれた成績優秀な子どもよりも、裕福な家に生まれた勉強のできない子どもの方が大学進学率が高いということもよく知られている。~

我が国はアメリカから真に独立を勝ち取っていないらしい。結局はアメリカの後追いしかできないのではないか。とはいえ、小学校に身を置く自分としては、それほど貧富の格差の影響を感じてはいないのだが。

~お金持ちの子弟はスタートラインにおいて恵まれるだけでなく、結果が劣っていても優遇されるのである。貧しい家に生まれた子どもは二重にハンディキャップを背負うのである。~

国の方針をどうすることもできないのだが、とりあえず、公教育を広める立場として、貧しかろうが裕福だろうが、どの子も押しなべて平等に扱いたいと思う。(R6.3/22記)