読書8-13『日本人に生まれて、まあよかった』Ⅵ

慌ただしい休日が終わり、新たな一週間が始まった。10月第一週、いつの間にか、厳しい暑さはなくなっていた。Tシャツを着れる日々も残り少なくなったようだ。

話題は教育に移ってきた。

~少数優秀というインテンシブな教育は更に必要です。~

インテンシブとは、「集中的な、集約的な、徹底的な」という意味。要するにエリート教育ということ。しかし筆者はこのエリート教育に満足していない。

~今のグローバル化する世界で日本が置かれている文化史的位置からして我が国の在来型のエリートと言われる程度の指導者では日本はもうやっていけない。~

世界的な視野を持っている筆者からすると、日本のエリート育成に物足りなさを感じるのだろう。確かに我が国は、機会の平等に重きを置いている。普通教育である公立小学校も、全員に等しい学力を身につけさせようとしている。全員に等しい学力を身につけさせるということは、言い換えれば、最下位の子どもに合わせるということだ。その子に学力が身につくまで、その子のスピードに合わせ、繰り返し指導することになる。ということは上位の子どもは適した指導を受けられなくなる。学力テストの平均点は上がるかもしれないが、突出した能力をもった人材はそんなに多くは育たない。日本の経済が低迷した原因はユニコーン企業が少ないからだという記述をどこかで読んだが、我が国が、ユニコーン企業を起こすような突出した人材の育成を怠ったからだ。

~肝心の知的エリートの養成について文教関係者も教員組合も語らない。語ることはその逆で、勉強もしたくない若者の全員高校進学などと言っている。それは財政バラまきにすぎず、そのような教育の悪しき平準化は、質の低下につながるだけではないでしょうか。~

日本は母性社会だという。要するに面倒見がいいのだ。そして勤勉や努力を美徳にする。ましてや同調や空気というものを大事にする。そういった国民性が、世界でも類を見ない教育の平準化を生んだのだ。それが一因となって経済が落ち込んだ。政治家も財界も、日本社会全体が、経済の再興だけに気を取られ、教育改革には思いが及ばない。こういうのを負のスパイラルというのだろう。(R5.10/2記)