読書9-2『新しい幸福論』Ⅳ

結局はケチな国なのかもしれない

今日で、懇談会は終了。いよいよ残すところ一週間となった。今年ももう終わりだ。

~北欧諸国は高福祉、高負担の国、日米両国は低福祉、低負担の国。社会保障が充実していれば、生活不安がないので、人々は人生に安心を感じることによって、幸福度が高くなるのである。~

たくさんの税金を払い、福祉や社会保障を充実させるのか。それとも、社会保障をおろそかにしてでも税金を最小限とするのか。我が国がその岐路に立たされたころは、きっと家族や家庭という関係が強固で、人々が支え合う土台があったことだろう。

我が国が借金まみれになっているというのに、増税を嫌い、ことさら減税を求め続けることに違和感を覚える。我が国は基本、低負担が好きな国なのだ。社会のため、人々のために、自分の財産を負担し合おうという気持ちが弱い国なのだ。負担し合うことが巡り巡って自分のためになるとは思えないのだ。

~2005年まで国民の一人当たりのGDPは増加しているのに生活満足度は確実に低下しているのである。人々の所得は増加しているにもかかわらず人生上のことで悩み多い日本人になりつつあることが分かる。~

お金を稼いでも必ずしも幸せになれるわけではない。そのことはみんなわかっている。それなのに、政府も経済政策を優先している。経済成長をさせようとする政党を支持している。

~日本人は所得分配の不平等はやむを得ない、あるいは強力な再分配政策は不必要と判断しているのである。~

貧困になるのは、格差があるのは、自己責任だという考えなのだろう。(R5.12/14記)