読書『アベノミクスの終焉』Ⅱ

格差は底辺層にとっても上層にとっても不幸

イカーのナビ、ドラレコの取り付け終了。次はパワーウインドウの修理。マイカー関連で私生活が慌ただしいが、今年度の仕事も今日、明日までである。一年が終わり、残務整理や身辺の後片付けをして一年が終わる。ほんの一息の間があり、そしてすぐに新しい一年が始まる。

~格差が大きな国では精神病や麻薬が広がる。国民の間で肥満が広がり、不健康になり、平均寿命は縮まる。人々の間の協力関係がなくなり、経済学の言葉でいう「社会的資本」が破壊される。教育レベルは低下し、10代の少女の妊娠が増加する。犯罪も増加する。こうして社会を荒廃させるのである。~

どうして我が国は格差が大きくなったのだろう。格差が大きくなっていいことは何もないのに。非正規雇用が増加したあたりから格差が大きくなったようだ。日本の発展がゆるやかになったのに対し、他国が急速に発展したのだ。グローバル社会となり、競争が激化したのだ。我が国も少子高齢化で働き手が減り、競争力が低下したのだ。ああ、この格差も必然のものだったのか。

~生物的な必要性が満たされると人間の欲求は社会的なものへと移る。しかし格差の大きな社会では底辺層は社会的な承認を得ることができない。上層は経済的には恵まれていてもストレスが大きい。ウィルキンソン&ピケットは、格差の大きな国に住むことは底辺層にとって不幸であるだけでなく、上層にとっても不幸であると主張する。~

格差が大きいということは底辺層も上層も不幸なことなのだ。国民全体が不幸だということだ。もっと上層から税を取り再分配していくのか、上層にぐいぐい引っ張ってもらいそのおこぼれを底辺層がもらうのか。なかなか見えてこないねえ。(R6.3/21記)