読書8-16『文明としての教育』Ⅹ

今日は職場で買った玄米6キロをマイカーで持ち帰り、途中の農協で精米した。今後1年間以上の米を用意したことになる。

~問題は教育の量が生徒の学習の達成度と無関係に進められているということです。現在の義務教育では小学校にも中学校にも落第や卒業延期という制度はありません。~

落第や卒業延期という制度があったら、子どもはもっともっと真剣に学習に取り組むことだろう。だが、我が国は母性社会である。母親のように子どもも温かく包み込み、父親的な一刀両断を禁じている。勉強なんてそもそもやりたくないものだ。それでも「授業が詰まらないのは教師の責任だ」と世間や管理職は教師の尻を叩く。

~このままでは社会全体の知的水準も下がるし、一群の若者もニートへ直行という気の毒な人生を送ることになります。知識水準の低い階層を生むことになれば、深刻な社会格差を招くのは必至でしょう。これでは社会統合のための教育、統治としての教育は破産したというほかはありません。~

非正規労働者ワーキングプアが増え、深刻な社会格差は確実に広がっている。子どもの学力も世界と比較すると年々低下している。それでも私が疑問に思うことがある。それは、保護者にその危機感が感じられないのだ。授業数確保のために行事削減をしようとすると文句を言う保護者。「学力をしっかりと身につけてほしい」という保護者には会ったことはない。保護者が学力に関心がないのが不思議でならない。

~第2次世界大戦後の教育の本質的な欠陥は、道徳教育の不足でも競争原理の欠如でもなく、「平等のための強制」という理念を忘れ去ったことだと私は考えています。~

~落第制度、卒業延期制度を復活してでも、またはそれに問題があるなら徹底した補習教育を設けることにして、全生徒に義務教育内容の完全な習得を強制する方法をうちたてるべきでしょう。~

保護者のニーズは残念ながら学力形成ではない。中学校の部活動がこんなに幅を利かせているのも保護者からの支持あってのものだ。近隣の市では小学校でも部活動を行っているところがある。そういったところからも、社会全体が子どもの学力向上を求めていないことは明らかだろう。(R5.11/9記)