読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅶ

いじめ指導に気づきや深まりなど求めるな

弱い雨に打たれながらもジョギング通勤。明日は祝日なので一足早い週末がやってきた。帰りもジョギングで途中、カフェに立ち寄る。家人が勧めていたチーズケーキをつまみに読書。久しぶりに贅沢に時間と金を使った。

いじめ問題について書かれている。

~いじめられた子どもの気持ちを考えさせて、いじめのひどさや残酷さを理解させようという考えは理解できます。しかし、マニュアル通りに授業が進んでいくだけで何か新しい気付きは得られません。~

自分のクラスにいじめが起きるなんて考えたくもないことだ。被害者、加害者から聞き取り、事実確認をする。それぞれの家庭へも報告をする。上司へも報告、いじめ対策委員会など会議にも報告。いじめ事案に対し、「新しい気付きを」なんて悠長に構えてなどいられない。

~いじめた加害者は悪い奴で、いじめられた被害者はかわいそう。だからいじめはしてはならない、シャンシャンです。これではまったく深まりません。~

~「加害者の視点」から始めるのです。「いじめた子どもの心理」を最初に考えさせるのです。いじめる場合にも、いじめる側の「理由」があります。その理由を明らかにしない限り、本質的な問題には迫れません。いじめられた子どもの気持ちを考えさせると、なぜ「いじめてしまうのか」を考える機会を奪うのです。~

いじめた子どもの気持ちに焦点を当てることに新しさは感じる。が、いじめた側の理由はどれほど明らかになるのだろうか。問いただしても「面白半分」など、納得のいく答えは得られない気がする。逆に、いじめられた側はというと「いやな気持ち」という程度の言葉しか返ってこない。気持ちを考える云々ではなく、「ダメなものはダメ」と両断した方がいいかな。(R6.2/22記)