読書9-7『反省させると犯罪者になります』Ⅵ

自立志向は人と繋がることを阻害するのかもしれない

今日は一日雨だった。昨日感じた「やらねばならないこと」は今日、大方片付けることができた。急いで帰宅して、洗濯物を室内干しした後、娘や孫のために大量のカレーを作った。職場でも、家でもあくせくと体を動かしている。

「我慢」というワードが目に留まった。

~受刑者は抑圧し、我慢を繰り返し、最後に爆発しているのです。私たちは爆発とまではいかなくとも、抑圧し我慢をする生き方をしていないでしょうか。当たり前だと思い込んでいる価値観が私たちに生き辛さをもたらしている場合があるのです。~

受刑者も我慢が足らなかったから罪を犯したわけだ。我々は、というとそんなに我慢しなくても生きていられる恵まれた環境なのかもしれない。私は抑圧され、我慢をして、仕事や家事をしているのだ。「仕事や家事など当たり前だ」という価値観もあるだろう。生き辛さと思ってはいないが、もう少しのんびりさせてもらってもいいかな、という期待はある。

~「我慢できること」は見方を変えれば「自分の気持ちを出さ(せ)ないこと」になります。また、我慢することは「人に頼らない態度」を身につけることになり、他者との間によい人間関係を築けなくなります。~

私は少々我慢して家事をしている。人に頼らずに自分でこなしている。そのことが「良い人間関係」を築けなくしているとは思えない。でも、もう少し我儘になって、家人に頼ってもいいのかもしれない。そういうつながり方もあるのかもしれない。

~我慢できる、一人で頑張る、弱音を吐かない、人に迷惑をかけないといった価値観は、見方を変えると「人とつながること」を阻害する要因にもなります。~

学校教育は子どもの自立を育むことを主眼にしている。私は特別支援を担当しているのだが、子どもが、できない場面に遭遇することが多い。そんな時には遠慮なく「できないなら周りの人に頼みなさい」というようにしている。それも生き方の一つである。(R6.2/21記)