読書8-1『無頼のススメ』Ⅴ

今週から咳が止まらずに、様子見していたが、悪化する一方。結局昨日は市販の咳止め薬を買う羽目に。今日は、授業参観、午後は資源回収。だが年休を取って帰り道の内科に寄って診察を受ける。

~平然と他人をいじめることができるのが子どもの怖さで、それは本来人間が持っている怖さでもある。~

小学校6年生の時である。私は友達だったある子をいじめていた。悪口を言ったり、ドッジの集中ねらいをしたり、仲間外れにした。その子に欠点や落ち度などない。その子がいじめられる理由などない。私がいじめる正当性もない。今だったら、まったく許されることではない。

~いじめの根そのものを誰もが持っている以上、世の中に出てもなくなりはしない。だから要は怒れるかどうか。怒れれば乗り切れるはずです。~

私はその子をいじめるのに夢中だった。そのネットワークを広げてやろうと、ある友達に「あいつを無視してやろうぜ」と協力を依頼した。だがその子は落ち着いていた。私の悪の誘いなどに載らなかった。「あの子は友達だから」と。私はその子の肝の据わった態度に正直感服した。そして自分の人間としての小ささを痛感した。

~教育で一番大事なのは「相手の痛みを知って泣けるか、思いやる感情を持てるかどうか」だと言ったのは、他人ごとに対して逃げない気持ちを持てるか、という意味もあります。私はいじめに遭っている子には「怒れ、相手を許すな」と言った。~

我々教員は、よく「いじめを許さない」というスローガンを立てる。だが、許さない、見逃さないというのでは実は生ぬるいのかも知れない。人が人を傷つけることに対して、もっと怒っていい、怒るべきなのだ。いじめっ子が明らかに悪い。それに対して及び腰になってはならないのだ。怒るという感情を上手に使えるようになりたい。(R5.4/28記)