映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー(2016)』

私、オルガ・ヘプナロヴァー(2016)JA, OLGA HEPNAROVA/I, OLGA HEPNAROVA   監督 トマーシュ・ヴァインレプ、ペトル・カズダ

ジョギング、朝食をすませて組合の大会の準備を進めた後、家人を駅に送り、隣市のミニシアターへ向かう。なんとなく他に観たいものもなく、ちょっとおもしろそうな本作を鑑賞。

監督の名で調べてもどんな人か分からないが、長編一作目らしい。注目俳優はミハリーナ・オルシャニスカ。女優、歌手、作家らしい。多才な31歳。

とても刺激的なシーンもあったが、全体的に抑揚のない退屈な映画である。結末もわかっているし、モノクロな映像でもあり、寝落ちをこらえるのが大変だった。が、考えさせられる映画なのは確かだ。

主人公は、歩道に車で乗り上げて民衆に突っ込み、20人を無差別に死傷させるという悲惨な事件を起こした。彼女は、精神を病み、集団いじめに遭い、家族からも愛されず、社会から孤立した存在だ。そんな彼女が復讐として、無差別殺人を起こしたのだ。我が国でも無差別殺人が起きている。それらの加害者の境遇も似たようなものだと思う。彼らは、自殺するか、テロを起こすかの選択を迫られているのだろう。彼らは、いじめ、差別、貧困などの社会の悪を一身に背負っている。自殺という方法をとれば、その悪は闇へ葬り去られる。だが無差別殺人を起こせば、悪を放置している社会に訴えることになる。もちろん私はどちらも肯定していないのだが。

注目は、事件を起こしてからの展開だ。泣き叫びながら死刑場へ連れられる彼女。私は大杉漣の『教誨師』のワンシーンを思い出した。自分の起こしたあまりにも大きな事件への遅すぎる後悔だろう。死への恐怖だろう。そこで、彼女の行いは全否定されるのだ。そして最後のシーンは、彼女のいない家庭の日常。まるで最初から彼女がいなかったかのように。私たちは、社会の悪に立ち向かっていかないといけないのだ。自分や身近な者が被害者や加害者にならないためにも。(R5.7/8記)