読書9-2『新しい幸福論』Ⅶ

だいたいの人は、社会の役に立ちたいと思っている

おとつい、昨日と、組合活動があり、ようやく今日は自宅でゆっくりできている。洗濯をしながら、煮物を作りながら、おやつを食べて、コーヒーを飲んで、ブログに向かう。仕事から解放され一人でこのようなひと時を過ごせるのも、今日で終わりなのだ。

生活保護制度に関して日本で特徴的なことは、この制度の恩恵を受けている人への「白い眼」である。真に貧しくて生活保護受給によって生き延びている人の紹介をもう少し報道してほしい気がする。~

自分の力で生活することができずに、生活保護を活用する人を非難するということだ。ある漫才コンビの親が生活保護を受けているということでバッシングがあった。きっと「生活保護は悪いこと、恥ずかしい」という風潮があるのだ。

きっと狩猟社会を起源とする欧米と、農耕社会を起源とする我が国、その起源の違いなのだろう。狩猟社会では獲物に巡り合うのは運に左右される。しかし、農耕社会では、手順を踏んでいけば、努力をすれば、食料は手に入る。欧米は、貧富は運次第と考えるが、日本は貧富は努力の差だと考える傾向が強いのではないか。生活保護受給者に対し、「努力が足りない」と考えるのだろう。

~不正受給、モラルハザードを起こしている人は許されるべきではない。日本でそれが目立つ大きな理由の一つは、監視と罰則が弱いからである。~

不正受給が目立つのか。これによって、本当に貧しく、生活保護を受けるしか仕方ない人も、非難の的になってしまうのだろう。

~充実した社会保障制度にすれば、国民は怠惰になると判断する人が多い。~

私自身が休職した時、収入がストップするということはなかった。詳しくは知らないが、社会保障制度を活用したのだろう。働かなくても収入を得ていたわけだが、その期間を引き延ばそうとは思わなかった。それよりも、早く復帰したいと思っていた。「国民は怠惰になる」ではなく、「怠惰になってしまう国民もいる」となるべきだ。(R5.12/20記)