読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』Ⅵ

自発的に働かされるという不思議な光景

今日もあくせく働いた。帰路に着いてからも、買い物、家事、用事、電話と、あくせくと動き回った。自分でも「もっとゆっくりすればいいのに」と思うのだが。早く片付けたいという衝動もあるのだ。

~日本の企業が採用した「日本的経営」は高度経済成長期に労働者の「参加意識」を高めることに成功した。~

~企業への「参加意識」を高めた労働者は、みずから進んで労働し、会社のために働くことに「生きがい」と感ずるようになってくる。日本の高度経済成長を支えたのは、このように、働くことを「生きがい」と感ずる労働者の存在であったと言ってよいだろう。~

私も自ら進んで労働したのだが、職場のために、学校のために、という奉仕の気持ちはそんなになかったと思う。それよりも、優秀な教師と思われたい、皆から一目置かれたい、という自己顕示欲の方が強かった。動機はどうあれ、そうやって働くことが生きがいだったことは否定しない。

~労働者の「参加意識」を形成するということは、言い換えれば、仕事に対する労働者の「自発性・自主性」の調達に成功したということである。~

~「日本的経営」において労働者に求められる「自発性」の場合、労働者自身の意識としては文字通り「自発的」に労働しているわけで、だからこそ働くことが「生きがい」にもなるのである。しかし実は、それが企業から巧みに誘導された「自発性」、企業の貢献するための「自発性」、企業に絡めとられた「自発性」にならざるを得ないという構造である。~

私はもう定年までのカウントダウン状態なので、そしてしかも休職も経験しているので、ある意味、知恵がついている。それこそ、管理職から誘導されない、絡めとられないように警戒心と冷徹な感情を持っている。時間という自分の財産を一秒たりとも、捧げてはならないと思っている。(R6.2/9記)