読書8-7『ルポ 過労社会』Ⅳ

ついに1学期が終わった。毎度のことだが終わってみればあっという間だ。明日からの夏季休業期間だって、あっという間に終わるのだろう。

そういえば、今日、ビッグな出来事があった。通知表を子どもに配ろうと中身を見たら、なんと・・・。やはり担任本人が印刷しなければだめだ。しかし、そんなトラブルにも落ち着いて対応できた喜びの方が大きかったりして。

~日本の労働法制は器だけ見ると厳格な制度に見えるが、中身はルーズなのである。労働法制に対する経営者の順法意識は低い。サービス残業名ばかり管理職など、脱法が横行、不正を監督する労働基準監督官は不足し、チェック機能も十分働いているとは言い難い。~

労働法は交通法並みに順法意識が低い、と聞いたことがある。管理職も、監督官もあてにならない。だが、それこそ組合の出番である。労働法を振りかざし、守るように訴える。だから、労働法があるだけ、有難いということもできる。

~日本の労働者一人ひとりが「働く時間と言うのは自分の時間を会社に売っている」とか「労働時間に対する労働者の権利を行使する」という意識がない。~

私はまさにこの2つの意識をゆるがせない。教師である前に労働者である。わたしはたった1秒でさえも自分の時間をただで提供するつもりはない。時間外勤務が平気でできる者は、教師であっても労働者ではないと思う。

~私たちは働くために生きているのではない、生きるために働いているのだ。~

そのとおりだ。だが、働くために生きている人だってたくさんいる。働くことが生きがいなのだ。人生観、職業観が違うのだ。そっちの方が大勢だろう。だが、一部少数だけの「痛い目」にあった者が、コペルニクス的転換を果たすのだろう。(R5.7/20記)