読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』Ⅶ

使用者に身も心も捧げる者を育成する学校教育

3連休の初日。次女の息子、すなわち孫を5時間預かる。前半は公園で遊び、後半は図書館へ連れていく。周囲には強がってみせたが、疲労と気苦労で夕方昼寝をしてしまった。

~1960年代なかば以降、「能力主義管理」と呼ばれる労務管理システムが注目されるようになった。労働者の「業績」ではなく、労働者の「人格全体」が問われることになったのである。~

これを読んで真っ先に思い出すのは、子どもの評価の観点項目である。確か新しい学力観が叫ばれるようになったころか、観点項目の第一に「関心・意欲・態度」が掲げられた。これにより、子どもの人格全体を評価する。企業が導入した労務管理システムの受け売りなのだろう。

能力主義管理の下においては労働者の「自発性」は企業から「その提示を求められる」もの、企業に対して「それを持っていることを装う」ものというふうに変わらざるを得ない。すなわち能力主義管理の下における労働者は「自発性」そのものを企業に譲り渡してしまうことになった。~

知識や技能は、テストや実技等「できる・できない」で客観的に評価できる。しかし、情意面は教師の主観が入らざるを得ない。教師の意に沿った子ども、自発性をうまくアピールできる子どもが高く評価されることになる。子どもが「関心・意欲・態度」を高く評価されるということは、自発性を学校に譲り渡してしまうことなのだ。

~情意効果は本人の「意欲と心構え」を評価するということである。そして「意欲と心構え」というのは、「やる気」ということであるから、要するにこれは「自発性」ということになろう。~

能力主義管理が進行してゆくと労働者は「自発性」を媒介にしながら企業の隷属することになる。つまり「自ら進んで」身も心も企業に譲り渡すことになった。~

高い評価を得ようと、評価する側の機嫌をとる人間、評価する側に身も心も捧げられる人間を育成していくのだ。(R6.2/10記)