読書9-5『日本語教室』Ⅴ

言葉は伝え合うためのものである、伝わらない言葉なら…

明日が節分である。職場では急遽豆まきをやることになった。台紙を印刷し、色を塗らせ、お面を作る。そして自分の直したいところを書きこませる。交代で鬼をやりながら、丸めた新聞紙を豆代わりに投げ合った。自分の欠点を自覚させる、向き合わせるにはいい方法だ。こうして慌ただしい今週も終わった。

~英語の母音は31もあって日本人にとっては一番難しいと思います。5つしか母音のない私たちが30以上ある英語をうまくしゃべろうとしても、そうは問屋が卸さないでしょう。英語は日本人にとっては非常に母音が難しい言葉です。~

自分が英語が苦手なのも母音の多さが原因だったのかも。だが、必要を感じない、映画ができなくても生活に困らない、というのが英語に本気で向き合えなかった原因だろうな。

~今の日本は本当に「ギリシア悲劇的宙づり状態」です。こういう閉塞状況を切り拓くには大きなプランも必要でしょうが、小さな笑いでみんなを一つにしたり解放したりしながら前に進んでいくということも大切ではないか。~

ギリシア悲劇的宙づり状態というのがよくわからないが、閉塞状況なのは十分わかる。

~言葉は人間の表現です。表現である以上、他人に理解してもらわなければいけない。このことだけはどんな言語にも共通して言える。森羅万象を表現し、人間の喜怒哀楽のすべてを互いに伝え合うのが言葉なんだと考えれば、どの言葉もそう違うわけはない。~

日本語の危機だとか、消えていく言葉があるとか言うが、言葉は伝わらなければ意味がないのだ。古くなり、伝えるためではなく、ただ残されている言葉が消えても仕方のないことなのかもしれない。そして時代が変われば言葉も変わるということを受け入れなけらばならない。(R6.2/2記)