読書9-5『日本語教室』Ⅳ

間違いを認め、乗り越えようとする姿を周囲は見ている

今日は3日ぶりにジョギング通勤。帰りも目標のカフェまで走り通した。仕事のストレスは溜まるのだが、走っているとどこか吹っ切れるものなのだ。カフェではいつもゆずシトラスティー。しばらく読書をして帰ると次女と孫がすでに我が家に着いていた。

~完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを自分で気が付いて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども過ちを隠し続ける国民には未来はない。~

国のことをどうこうというより、自分の仕事について。完璧な人などいない。どこかで間違える。それに気づかせて、間違いを認めさせ、謝罪などの落とし前、後処理をさせる。それが、間違いを乗り越えるということだろうな。そういう構えで子どもと対峙したい。

~過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときにそこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。~

そうなのだ。過ちを乗り越えることは苦労のいることなのだ。だがその姿は周囲の者も観ている。間違いを犯したとき、きちんと謝罪をしたか。それを埋め合わせようとしたか。その姿を見せる、見ることで信頼が生まれると信じたい。

~日本の悪いところを指摘しながらそれをなんとか乗り越えようとしている人たちがたくさんいます。そういう人たちは売国奴と言われています。でもその人たちこそ実は真の愛国者ではないのでしょうか。~

売国奴とか、愛国者とか、どうでもいいと思う。もちろん売国奴などと誹謗中傷はいけないけど。乗り越えようとする態度こそが大切なのだ。(R6.2/1記)