読書9-4『人生の転機』Ⅵ

教師は、子どもに揉まれることを避けられない

昨日と変わらない仕事。だからと言って手を抜く言い訳にはならない。すべてやり切って、勤務開始から8時間後、職場を離れる。

~誰も見ていないなんてことはない。仕事ぶりは必ず見られている。それは訪問先でも社内でも。ある意味ではそれが一番怖いことだ。~

自分の仕事の成果をアピールする気はない。というかアピールするほど立派な仕事ではない。もっと自分を見てほしいという気持ちはない。

~「仕事ぶりは必ず見られている」というのは、本物の仕事をすれば長期的には必ず報われるという意味でもあるのです。~

見られたい、見てほしいなんて思わなくたって、見られているというわけだ。晒されているといってもいいだろう。だから一瞬たりとも気を抜いてはいけない。自分のやることが間違っていないか、よくよく客観視しないといけない。

~「いろいろな人に揉まれなければ分からない」会社経営も会社員人生も思い通りにいくとは限りませんが、社会と組織に揉まれて懸命に取り組めば、きっと誰かが見ていて、何らかの見通しが立つのではないでしょうか。~

言いかえれば、「教師人生も思い通りに行くとは限りませんが、学校と子どもに揉まれて~」となるのだろう。そういえば自分は「子どもに揉まれる」という覚悟が欠けていたのだ。子どもに揉まれることを受け入れられなかったのだ。教師とはそういうものだという割り切りができなかったのだ。(R6.1/23記)