読書9-4『人生の転機』Ⅳ

働けるのは、必要とされているからだ

昨日に引き続き、喉に違和感。そして腰の痛みが以前より増し、レベルが一段あがった気がする。雨で天気も良くないので、こんな日は、ゆっくりするのが一番なのだろう。

~相手のすべてを受け入れることができるようになったことで、過去と他人は変えることはできないが、自分と将来は変えられることを知りました。そして自分が変わることで、他人にも影響を与えられることにも気づき始めました。~

私が携わっている教育という分野は、いわば「他人を変える仕事」といえるのではないだろうか。成長という名で、他人を変えるのだ。だから「相手のすべてを受け入れ」ていては、仕事にならない。相手を変えるために、かつては私も闘っていた。仕事って、何かを変えることなんだよな。

~「それは問題があるからです。もしも私たちが出した要求にあなた方が全部イエスと答えたなら、私はいらないでしょう。自分の要求と相手の要求にギャップ、つまり問題がある。だから私の存在が必要であり、高い給料がもらえるのです」~

こちらの要求と相手の要求のギャップが問題、という言葉にはピンと来ないが、問題解決のために誰かの存在を必要としており、それを自分が担い、報酬を得ているのだということは大いに共感できる。誰かが必要とされているから、その職が存在するのだ。自分はそこに必要とされているから、働くことができる。その報酬の額には不満はない。いや、関心がないというのが正直なところだ。(R6.1/20記)