読書9‐3『子どものケータイ-危険な解放区』(下田 博次 )

判断力や自制心がないから子どもなのだ

子どものケータイ-危険な解放区 (集英社新書)  – 2010/7/16 下田 博次 (著)

視写量4p 視写期間2019年10月20日

筆者はNPO法人青少年メディア研究協会理事長。「長らく子どもの携帯電話利用問題に取り組んできた第一人者が分析し、その解決策を緊急提言する」とあった。ご存知のように、私はケータイやスマホを持たない。スマホ代わりにタブレットを持っているので、困ることはない。困ることがあるとしたら、ケータイ、スマホを使う者の気持ちが分からないことか。

~インターネットは子どもに開放的、発展的な人間関係をつくる力を与えるが、逆に同質で閉鎖的な縮み志向の人間関係に引き込む作用もする。~

情報を選び放題だからこそ選べないという感覚だろうか。情報の過多に戸惑ってしまうのだろうか。選び出したらキリがないので、手ごろな情報、手ごろな人間関係でとどまってしまうということか。

~問題は思春期の子どもに悪用防止策も考えずに有害な情報の受発信が自在にできる、つまり容易に悪用ができるメディアを売りつけていることではないか。~

新製品が出たとき、その斬新さ、新鮮さに目がくらみ、マイナス面に目を向けることができない。どう悪用されるかなど考えずに、見切り発車で販売をスタートしているのだろう。

~インターネットは情報のるつぼである。そのネットの情報の真偽や善し悪しなどを認識できる判断力や、刺激的で誘惑的な情報の利用を自制できる自制心などが子どもにあればよいが、それがないから、子どもなのである。~

子どもだから判断力がない、子どもだから自制心がない、という位置に立つ必要があるのだ。(R6.1/11記)