読書9‐3『子どものケータイ-危険な解放区』Ⅱ

ケータイが犯罪の温床になることは確かにあり得る

長い一週間が終わった。来週はもっと忙しくなりそうなのだが、来週のことは来週考えればいい。帰宅して、少し歌ボラの準備をして、すぐ隣市のカフェに向かう。組合活動で人に会わねばならない。

~ケータイの出現はポケベル時代の自己中心的友達作りの自信、快感をより高めてくれるという期待を思春期の子どもに与えた。子どもは思春期特有の自己表現や好奇心の追求など各種の心理的欲求をケータイで積極的に実現しようとし始めた。~

一家に一台の固定電話から、ケータイへ。自分のケータイが持てるなんてきっと素敵なことなのだろうな。自分の思春期はどうだっただろう。勉強より部活動だった。フォークソング、特に松山千春に夢中になっていた。読書は筒井康隆にハマっていた。その時にケータイが存在したとしても、そんなに入れ込むことはないだろうと思う。

~ケータイの最大の魅力はおそらく「保護者、親からの解放を実現する力」さらに言えば、「教師の権力の及ばない空間づくり」ではないか。~

親や教師からしてみれば、新しく出現したケータイで、子どもが手の届かないところに離れてしまったり、暗躍したりすることが不安なのだろう。だが、子どもの側からしたら、そんな解放的になっているという意識はないのではないか。

~子どもたちは「ネットの中なら大人と子供の差はなくなる」と考えた。つまり対面では大人を騙せないが、年齢、性別など無視した付き合いができるネットであれば大人だって簡単にだますことができると考えた。~

ただ、最近よく見られる宝石店の強盗など、若者の犯罪は、スマホで実行者を募集したのだと聞く。それこそ、犯罪にスマホが大きくかかわっているわけで、そういった悪事には十分注意が必要だ。(R6.1/12記)