読書7-14『「本」と生きる』Ⅱ

筆者は、子どもたちが本から情報機器へ離れていってしまうことに危機感を持っている。

~私が危惧していることは「教育」というものが本来的に内包している縦方向のコミュニケーション性が失われているということです。人生の先輩や年配者が、後輩や生徒に知識だけでなく、生き方や人間関係そのものについて教え、諭す。教師とのコミュニケーションという縦のつながりを通して子どもたちは単なる知識以上のものを学んでいくのです。仲間うちの人間関係だけでは、人間性を育むという点で不完全なのです。~

ネットの普及のためにコミュニケーション性が失われた、とは思わない。情報社会が進展したというより、学校教育の力が弱まったのだと思う。子どもたちにとって、学校教育など、それほど重要なものではなくなったのだ。教師が、子どもたちに生き方を教え諭すことなど、夢物語ではないか。

~せめて小学校では自分の手で文字を書き、紙のページをめくり、実際に観察や実験を体験したり、教師や友達と生のやり取りをしたりできる授業が必要だと思うのです。~

私も含め、筆者などの世代は、根本的にSNSに対して不信感や警戒感があるのだと思う。本を信じてきた。紙媒体、活字を信じてきた。それが情報機器に乗っ取られようとしている。それが不安なのだ。だが、若い世代は難なくそれを受け入れ、使いこなす。

~自我の確立が十分でない、そして自分の言動に責任が持てない成長段階にある子どもたちのことを、すべて電子機器に任せきってしまうことは危うさを伴うのです。~

本の価値は認める。だが、もうバスは走りだしている。それは止められない。世界に目を向ければ、日本は遅れているくらいなのだから。(R5.2/12記)