読書7-13『それでも僕は前を向く』Ⅴ

節分。今日もジョギング通勤だが、なじみのスーパーへ遠回りして、お面付きの節分豆を買い求める。そして日曜日の手巻き寿司セットの予約。

次は教育についてふれている。

~生徒を形式で律する、形で縛ることが、日本の青少年教育をどれぐらいゆがめていることか。これが「周りと同じことをする」「平均的にできる」官僚的日本人を大量に作ってしまったのだ。~

テレビで見たけど、文科大臣が「卒業式のマスク着用は家庭の判断で」という発言が波紋を呼んだそうだ。家庭の判断だから、それぞれで判断すればいいのに。指示されないと、マスク一つも決めることができない。形式で縛ってきたから、こうなったのか。それとも、もともと決められないから縛ったのか。どっちだろう。

~現在の子どもたちの状況を見ると、もう自分が経験していなくてもほとんど現実が分かってしまっているのではないか、とかわいそうになる。人生の道をみっしりとカリキュラムだらけで決められている。知識はあっても伸びしろがどこにもない。一番気になるのは、そこに本望という文字がどこにも見当たらないような気がすることである。~

現代は情報氾濫時代。幼いうちからスマホを持ち、なんでも知ることができる。いや、知りたくなくても、知らされてしまう。「大人になったら分かる」ということもなくなったのかもね。(R5.2/3記)