読書9-2『新しい幸福論』15

他人と比較せざるを得ない社会の中でどう抗うのか

昨日、今日と関東方面へ家人と旅行をした。家人の趣味に付き合う形で名勝を巡った。その先々で料理を楽しみ、帰宅して体重を図ったら、近年まれに見る体重になってしまった。十分反省せねばなるまい。

『幸福論』と題にあるのに、ようやくここにきて、それに類する語が出てきた。

~他人の優位を気にしない人は幸せである。生まれつきの才能、身体能力、容姿などは「神」の決めたことなので、それに逆らわないことである。他人との比較をするから自分の劣位が気になるのであり、他人と比較しなければ超然と生きていけるのである。~

本当にその通りだと思う。だが、「他人と比較するな」という真理に気づくことはなかなか難しい。なぜなら学校教育では、全く正反対のことを子どもに教えているからだ。単元が終わればテストをして、能力が点数化される。自分が比較しなくても、周囲が比較する。生活面で周囲と突出していれば「周りに合わせろ」と指導を受ける。学校社会自体が比較の社会と言ってもよい。「神」の決めたことに対して努力して改善しろというのが学校教育なのだ。物心つく前から10年近く、そういう社会に浸らされるのだ。他人との比較するクセが染みついている。

~自分の優れた点を見つけてそれを100%生かせる人生を送れば、たとえ他の分野で劣位のある人であっても幸せな人生を送ることが可能となる。他人のことを気にせず、自分の進むべき道を見つけたら、失敗を恐れずに邁進せよ、ということになろうか。~

ところで自分の「優れた点」とは何だろうか。自分はそれを見つけたのだろうか。それがあったとして生かせているだろうか。まあ、とにかく今の自分の仕事も、家族も、自分が選んできた道であることは確かだ。だから、それを他人と比べることは意味はないのだろうな。もうそれで突っ走るしかないのだ。(R6.1/6記)