読書8‐12『生き方の不平等』Ⅱ

今日も刺すような日差し。昨日に引き続きジョギング通勤。職場を離れ、ジョギングするも、途中で耐えきれずドラッグストアに寄り、アイスクリームを食べながら帰る。

教育という文字が目に付く。

貧困層の増大に対してブレア政権が打ち出したのは教育問題でした。教育こそが若くして母親になった者も含め、若年層の貧困問題を解決するカギだとしたのです。~

我が国だってワーキングプアなど社会問題になっても、経済再興を求める声は挙がるが、教育は全くと言っていいほど話題にならなかった。

~たとえ母親が就労したとしても母親が無業の場合と貧困率がほとんど変わらない日本。~

それだけ女性の賃金が低いということだ。だからと言って生活保護に頼る方には向かない。なぜなら、「生活保護を受けるのは恥ずかしい」という風潮があるからだ。

~特定の親子関係からはなれて自らの可能性を見極める場所の一つが教育の場に他なりません。ここが様々な子どもを柔軟に受け入れ、教育する場にできるかどうかで、いうなれば社会としての、国としての成熟度も決まってくる。~

我々学校現場に身を置くものは、「食育」や生活習慣の指導など、教科指導以外の教育やしつけを押し付けられるたびに、家庭の教育力の低下を嘆いていた。しかし、もっと酷いことになっているのかもしれない。家庭に任せていては、保護者に任せていては、子どもがかえって悪くなるほどなのかもしれない。

~義務教育、できれば高校教育までは様々な経験の場を提供し、基礎学力や教養を学び視野を広めるきっかけをすべての子が保障されなければなりません。教育の場は親と子の負の連鎖を断ち切る糸口を提供するところです。~

親と子の負の連鎖だろうと、教師に教科指導以外の負担をかけるべきではないという立ち位置は変わらないけど。子どもの貧困と、家庭の教育力のなさは関連があると思っていいのだろうか。(R5.9/14記)