読書8-16『文明としての教育』Ⅻ

今日は遠足。朝から弁当を作り、バスでの移動。もう何度も訪れた行楽地だが、子どもたちを連れ回り、歩き疲れる。帰りのバスではウトウトしてしまった。割り振りを取って帰り、カフェでシフォンケーキと読書で打ち上げ。

~先生たちに「ノーブレスオブリージュ」の感覚をぜひ養ってもらいたい。「ノーブレスオブリージュ」とはしかるべき社会的な地位には責任が伴うということを示します。~

この言葉を調べてみたら、「高い社会的地位には義務が伴う」「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観」と書かれていた。教師が「高い社会的地位」「身分の高い者」と結びつけていることに大きな違和感を感じる。

~先生たちは第一義的に知識と知恵の宣教者であり、文明の伝道者である以上、それだけでもしかるべき権威と責任を負う存在だからです。~

私自身が中学、いや小学校高学年の頃だって、教師の権威は崩れかけていた。中3の時には校内暴力が社会問題になった。教師が権威を振りかざしたから、校内暴力が起こったのだ。そして、子どもがどう育っても、教師が責任を問われるということもない。

~そうした大きな権威も権限ももし先生の側に持っているという自覚が乏しく、また同時に社会の側にそれを尊重する敬意がなければうまく機能するはずがありません。~

やはり「ノーブレスオブリージュ」はそう簡単に養えるものではない。教師に雑用をさせるのをやめ、教科指導に専念させること。大学院卒、留学経験インターン制度を取り入れもっと高学歴にして専門性を高めさせる。それに伴い報酬もアップさせる。それくらいは必要だろう。(R5.11/14記)