読書6-18『社会力を育てる』Ⅺ

戦争に負けた直後は、問題を解決する能力を育てようとしていた。だがいつしか学力観は歪んでいった。我が国は敗戦国であったために、経済で発展させようという気持ちが強かったのかもしれない。

~どうして学力観を切り替えることができないのか。その理由は、私たちが自ら経験してきた現行の教育制度が「近代公教育制度」といわれるものであり、基本的には近代産業社会の維持発展に貢献する目的で作られた制度だからである。~

我が国は世界有数の経済大国に成長することができた。近代産業社会の維持発展を果たすことができた。

~近代公教育制度の狙いは、すべての子どもに様々な教科の知識を一律に一斉に教え、定期的に試験をし、知識の多寡を評価し、能力に応じて選別して社会の然るべき地位に配分し、産業社会の発展への貢献度に応じて経済的社会的資源を与えるというものだった。~

~このような教育の仕方はメリトクラシー、あるいは能力主義と呼ばれている。能力主義とは要は全員に一定の期間、義務教育として同じ教育を施すことで産業社会の発展に役立つ人間を見つけ出し、役立つ人間にはさらに高度な教育を与え、能力を伸ばすことが究極の目的であったといってよい。~

近代産業社会を形成することができたのだが、そのために社会の形成能力、すなわち社会力を失ったのだ。物質的に、経済的に豊かになったのだが、人とのつながりは薄れ、社会性は乏しくなったのだ。(R4.8/17記)