読書6-18『社会力を育てる』Ⅵ

社会的な不平等は意図的に作り出したということか。

~教育の機会を誰にも等しく保障するという公教育の理念が実現されるにつれて、想定した社会的な不平等がなくなるどころか、逆に、生まれた家庭の違いが成績差になって表れ、そのことが「新しい身分制度」を作り出しつつある。~

どんな家庭でも関係なくどの子も同じように教育を受けねばならない。なのになぜ社会的な不平等が助長されるのか。

~その子が育つ家庭の文化的な環境や毎日の生活の仕方の違い、あるいは普段の家庭で行う会話の内容やその時使う言葉の違いなどが、人間の深部に違いをもたらすことになるということである。~

家庭環境というものはそれだけ子どもの成績を左右するものなのだ。家庭の教育力はそれほど重要なのだ。給食指導、生活指導など、家庭で教育するべき事項も学校に丸投げだ。

~階層間の移動が行き詰ったのは、教育が不公平であったから招来してのではないということである。そうではなく、誰に対しても等しく教育をし、成績を公平に評価してきた結果、そのような社会になったということである。~

~すべての子どもの学力を向上させるのだといって、学力向上競争に火を点けたとしても、事態は一向によくならないということである。~

我々が学力向上に熱心になればなるほど、社会的不平等が高まる。考えてみれば、当然だ。すべての子に平等に教育したのなら、子どもの学力差は、家庭環境や家庭教育力の差のみで表される。

こういった事実は、我々教師の耳に入ることはない。教師は学校社会の中でしか生きていない。不都合な真実は当事者には伝えない。(R4.8/8記)